萌え産業の荒波に揉まれた先に。全てを辞めてから気づいた“幸せ”とは

撮影:小川 遼
元地下アイドル。講談社主催オーディション「ミスiD」2020ファイナリスト。コンセプトカフェ「アフィリア・シェリーズ」「みらいぷらんと」キャスト、撮影モデルなどの“萌え産業”で活動。2021年に引退し、現在はOL。趣味はサ活(サウナ)。
他人からの評価がすべてだった、萌え産業時代
幼い頃から密かにアイドルが大好きで、「キラキラな世界にずっと憧れていた」というモ。ちゃん。10代でスカウトされたのをきっかけに地下アイドルを始める。辞めた後もコンカフェや撮影モデルなど、“萌え産業”内で多岐にわたって活動をしていた。SNSには自撮りや撮影モデル時の作品、流行りのカフェや映えスポットなどを投稿し、周りからは日々を謳歌しているようにみえたかもしれない。しかし、モ。ちゃんは「満たされていなかった」と語る。

「私にとっての“幸せ”は、『可愛い容姿とスタイルで、皆から愛される人になる』……みたいな、莫大で無謀なものでした。そんなの簡単なことじゃないのに、SNSでの反応のあるなしでその日の気分が左右されて、メンタルは毎日ブレブレ。『人から求められる自分でいなきゃ』って必死でした。今思えば、他人からの評価を気にするばっかりで、“自分はどうしたいか”を、完全に見失っていましたね。自分っていう器がないと幸せも何も入らないのに、それがなかった。だから、SNSで自撮り写真の反応がよくても、『もっと、もっと』って求めるばっかりで、満たされることがなかったんです」
プレッシャーを感じて追い込まれ、負けてしまう日々
そのまま、憧れのオーディションだった“ミスiD”に応募し、ファイナリストまで通過したモ。ちゃんだったが、オーディション期間である約半年の間に、自分の理想と現実のギャップから、理想体重から10キロくらい太ってしまったという。

「可愛い子、才能のある子、自分の強みを分かってる子……オーディションに出ている子と比べて、『自分には何もない』っていう恐怖をずっと感じていました。そのプレッシャーで暴飲暴食して太って、さらに自信を無くしていって。人生で一番“自分”と向き合った気がするけど、結局答えは見つからないまま、オーディションは終わりました」
ミスiDのオーディション中、すがる思いで駆け込んだ美容医療
物心ついた頃から自身の“丸顔”がコンプレックスだったというモ。ちゃん。オーディション中にストレスで体重が増加したことによりさらに丸顔が悪化したと感じ、すがる思いで駆け込んだのが美容医療だった。しかし、結果は思っていたものと違ったという。

「最初は頬の脂肪溶解注射をやって、そのあとエラボトックスを受けました。エラボトックスは食いしばりには効いたけど、丸顔改善に対しての効果は感じなかったです。っていうのも、そもそもどちらの施術も根本的に丸顔を改善する施術じゃないので、当たり前。私の丸顔はもともとの骨格の問題で、太りすぎて一時的に丸くなったわけじゃないから。今思えばそりゃ効果ないよって感じなんですけど、あのときはとにかく焦っていて(笑) 次やるときは、ちゃんと時間をかけて調べて、自分の希望にあったアプローチのできる施術を選びたいですね」
幸せじゃない自分を認めたら、気づいてなかったことに気づいた
活動も、ダイエットも、美容医療も、焦りやプレッシャーで空回り。オーディションが終わっても、落ち込む日々が続いた。しかし、後日審査員から書かれた自身へのコメントに、思わず「はっとした」という。

「ミスiDが終わってから、ミスiDの実行委員長からこんなコメントが届いたんです。『女の子を幸せにしたいと言ってたけど、まずはあなたが幸せになるべき』。私、面接で将来の夢を聞かれたときに、『私と同じようにもがいている女の子たちを幸せにしたい』って言ってたんです。将来は、女の子の手助けができる人間になりたいって思ってた。でも、『自分のこと幸せにできてないのに、誰かを幸せにできるわけないじゃん。そんなことすら見えなくなってたんだ』って、そこでようやく気づいたんです」
“萌え産業”から引退して気づいた、“自分にとっての幸せ”
改めて自分のことを見つめ直したモ。ちゃん。「人に自分の価値を求めるんじゃなくて、自分で自分の価値を見出さないと、自分の求める幸せにはなれない」と悟り、“萌え産業”から引退。生活を整えるために就職してOLとなり、自律神経を整えるために通いはじめたサウナは趣味の一つにまでなった。さらに、人の目を気にしなくて良い環境のおかげで心にも余裕が生まれ、徐々に、自分が幸せになるために考えて行動できるようになったという。

モ。ちゃんの今は、あの頃描いていた、“理想の幸せ”ではないのかもしれない。だが、モ。ちゃんは「なんの後悔もないです」と笑った。
「辛いこともあったけど、楽しいことだってたくさんありました。仮に、“萌え産業”に関わらずにストレートで就職していたら、『やればよかった』っていう後悔が一生残ったと思います。だから、やれてよかった。今でも壁にぶつかることがあると、応援してくれた人たちを思い出して、毎回背中を押されてるんです。あのときの私だって幸せだったし、これからの私も自分で幸せを見つけていけるように今頑張ってるよって、伝えたいですね」
