Documentary
Documentary #Fashion #Art

アラ還ファッショニスタTAEKOの哲学
「無難を脱ぐ、自由を着る」

2022.03.18
TAEKO
取材・文:岡本のぞみ(verb)
撮影:有泉伸一郎(SPUTNIK)
TAEKO アラ還ファッショニスタ。1963年、京都府生まれ。育児ノイローゼがきっかけで30代を全身灰色で過ごした後、40歳でファッションの力に気づき起業。その後パーソナルスタイリストに。独自のファッション哲学がSNSでバズり、メディアにも注目される。毎週、コーディネートをライブ配信している。
ピンクの髪とカラフルな服をトレードマークに、アラウンド還暦の“アラ還ファッショニスタ”として活躍するTAEKOさん。30歳から10年間、灰色のジャージで過ごしてきた期間を経て、現在はカラフルな毎日を送っている。自身の経験から、「ファッションには外見だけでなく内面を変える力がある」と語る彼女のファッションを通した人生哲学を聞いた。

ファッション好きから全身灰色おばさんに

1980年代、ファッションの世界ではDCブランドが全盛期だった。デザイナーが個性を競い、ニコルやコムデギャルソンなどの洋服が街を彩っていた。当時、高校生だったTAEKOさんも、そんなファッションに夢中だった。

ファッション好きから全身灰色おばさんに

「幼少の頃からファッションデザイナーに憧れて、高校を卒業した後はファッションの専門学校に入学しました。当時は実家に住んでいたので、アルバイト代は全部、服代に消えていました。今と違ってファストファッションもありません。当時はTシャツでも1万円くらいしたので、自分で作ったりもして。人の着ていないものを着たい、ないものは作りたい、服で自分探しをしていました。髪の毛も最先端のヘアサロンを訪れて、赤のハイライトを入れて。常に人がやっていないことをやろうと、やりたい放題。SNSなんてないので、街に出かけて目立つことをやっていました」

若かりし頃のTAEKOさんはすでにファッショニスタ。自己主張のためにファッションを自分の武器にして楽しんでいた。専門学校を卒業後は、ファッションデザイナーの職に。結婚後は販売を仕事にして、20代はファッションが全てだった。30歳で出産すると、それを機に専業主婦になった。

ファッション好きから全身灰色おばさんに

「そこから人生が変わりました。子どもを2人出産したあとは、育児ノイローゼで外に出る元気もない。そうなったら、おしゃれをする気も起きないので、服なんてどうでもいい。ずっと灰色のジャージを着て、髪の毛は1本に縛っていました。やることといえば、子どもを怒り続けるだけ。30歳から40歳までの10年間は、人生を諦めている毎日が続きました。当時はまったく気づきませんでしたが、うつ状態だったのだと思います」

レモンカラーに導かれ、パーソナルスタイリストへ

全身を灰色のジャージで包んでいたTAEKOさんは、心のなかも荒んでいた。当然ながら家庭にもどんよりした空気が漂っていたそう。しかし、そんな日々に終止符が打たれる日は突然やってきた。

「ふと洗濯物を干していたとき、窓ガラスに映った姿を見てハッとしたんです。そこにいたのは、ボサボサの髪の毛をしばって、猫背で顔も垂れ下がった老婆。それが自分の姿だと気づいたときは、“これ、わたし?”と思うほどショックでした。自分のイメージでは、二十歳の姿で止まっていたんですね。こんなに老けたんや、と思うとすごくショックで。それで、絶対に変わろうと決意しました」

レモンカラーに導かれ、パーソナルスタイリストへ

TAEKOさんは、すぐさまクローゼットにあった灰色の服を全て捨て、大阪・梅田に買い物に出かけた。

「きれいなレモンカラーのセーターを買いました。袖をとおしたら、こういう明るい色の服が似合うんや、と思って。そこから気持ちも明るくなって、ピンクとか赤の服を買うようになりました。すると、自然と外出したくなって、友達とごはんに行ったりする機会が増えたんです。そのときに、服の力ってすごいなと思って。内面って、変えようと思ってもなかなか変えられないでしょ。でも、服を変えただけで気持ちが変われた。元々、服が好きだったこともあったから、変化が早かったのかもしれませんね。本当に服に助けられました」

服で行動力をつけたTAEKOさんは、何とアロマセラピストとして起業を果たす。ファッションを仕事にしなかったのは、服はあくまで楽しむ手段にしたかったためだ。しかし、そんな思いとは裏腹にTAEKOさんのもとにはファッションに関するオファーが届く。

「『何を着たらいい?』『洋服の買い物に付いてきてほしい』とか、アロマよりファッションの相談を受けることが増えてきました。そのたびに、『TAEKOさんはサロンで仕事するよりも外で仕事してる方が輝いてる』と言われるようになったんです。二度とファッションの仕事はしないと決めていましたが、何人もの人に、やってやって、と言われるうちに『やってみようか』に変わりました。そうとなったら、私はスタイリストとして突き抜けていこうと思った。どうやって自分を出して行こうかなと思ったときに思いついたのが、ショートカットの金髪ヘア。いま思うと、ブランディングですね」

レモンカラーに導かれ、パーソナルスタイリストへ
レモンカラーに導かれ、パーソナルスタイリストへ

こうしてできたスタイルが、いまのTAEKOさんの原型。パーソナルスタイリストとなったTAEKOさんをさらに磨き上げていったのがSNSの存在だ。

「SNSを始めたのは、2018年でした。初めはインスタで好きな服を発信していました。そのうちフォロワーさんが増えて気づいたことは、年齢を公表しながらファッションで輝いている私に励まされているということ。そこから、髪も金髪からピンクにして服もパワーアップしました。コロナになってからは、ファッションでおうち時間を楽しませることができないかと考えて、ベランダのファッションショー『ベラコレ』を始めました。ベランダなら家の中で、靴まで全身を見せられるでしょ。今はライブ配信もやっています」

Tik Tokやインスタグラムがバズり、フォロワーが増えると、メディアからの取材依頼も来るように。そこでTAEKOさんに付けられた名前が“アラ還ファッショニスタ”。現在、そのファッションを通じた人生哲学が話題を呼び、多くのプロデュース依頼が来るようになっている。

「無難を脱ぐ、自由を着る!」「大丈夫やで」

TAEKOさんの活動キャッチフレーズは、「無難を脱ぐ、自由を着る!」。これはどのような意味をもつ言葉なのだろう?

「無難を脱ぐ、自由を着る!」「大丈夫やで」

「私自身、40代から50代は試行錯誤していました。そのなかで気づいたことは、服を選ぶとき、似合うかどうかが大事なんじゃなくて、好きなものや自分が気持ちいいものを着た方が良いということ。つまり、自分の魂がよろこぶ服です。“似合う”というのは、他人目線。知らず知らずのうちに他人に媚びてしまってるんですね。そうじゃなくて、自分がどうありたいか。似合わない服を着れば、似合う自分になろうとするから、すごく可能性が開けるんですよ」

TAEKOさんがファッションプロデュースする際は、服に関するコーディネートだけでは終わらない。

「私のところに訪れるお客様は、突き詰めると変わりたいと思っている人です。『何を着たらいいですか?』と聞かれたら、どんな人生を歩んでいきたいかを聞いてみます。そのために、まずは好きなことをあげてもらうところから。みんな自分の力で稼ぎたいとか、自分が生み出したサービスを世に広めたいと思っているので、その思いが伝わるようなファッションを提案していきます。当然、新しい服を買うときは不安がつきまといます。でも、私が選んだということが、ものすごく自信になる。『大丈夫やで』と言えば、表情が変わってくる。自信がつけば、人は変われるんです。実際に私のお客様は、経営者になったり、政治家になったり、タレントになったりは当たり前。どんどん次のステージに上がっていくのが特徴です」

「無難を脱ぐ、自由を着る!」「大丈夫やで」

TAEKOさん自身、服で人生を変えたからだろう。いつのまにか、ファッションのアドバイスではなく、人生のアドバイスを送るようになっていたのだ。

「私のやっていることは、自分の人生を生きていない人を手助けすることだと思っています。実際に、“元気をもらいました”というDMをもらうことがすごく多いんです。58歳と年齢を出しているからか、若い人も多くて最年少は14歳。『将来は、TAEKOさんみたいな大人になりたいです』というメッセージをもらいました。年齢を重ねても突飛な格好をしている私を見て、大人になっても楽しいんだと思ってもらいたい。私もしんどい時期があったのでわかりますが、そういうときは自分から何かをすることはできないんです。だから今は、SNSだけじゃなくてメディアにもどんどん露出するのが目標。たまたまつけたテレビで目に止まって私のメッセージが伝わればいいなと思います」

目立ってなんぼ、批判なんて怖くない

最近、量産系ファッションというのが流行っている。若い世代ほど個性を避け、流行りを身につけて安心している様子がTAEKOさんは気になると言う。

目立ってなんぼ、批判なんて怖くない

「今の若い人はみんな同じベージュの服を着て、同じメイクをしていますよね。アメリカ村を歩いてても、ヤンチャな子がいなくてさみしいです。SNSで他人に見られて、ちょっと違うことをすると叩かれるから大人しくしているんですかね。でも、他人のことなんて案外、誰も見てないんです。私は全身灰色だった後、きれいな色の服を着てみましたが、それくらいだと家族にすら何も言われませんでした。金髪になって、やっとママ友に噂され始めたくらい。私は目立ってなんぼだと思っているので、それを見て“やったー”と思いました。そういう人達はうらやましいから、噂するんです。大人しくしとこうと思ったら負け。あなた達とは土俵が違う、と思えばいいんです」

しかし、目立てば目立つほど、批判は出てくる。初めてTik Tokでバズったとき、TAEKOさんのもとにもたくさんのアンチコメントが来た。

「やっぱり心は折れますよ。何者かわからないから反発して、標的にされるんでしょうね。最初の頃なんて、100件のコメントのうち100件が批判でした。普通の人には『気にせんとき』と言われましたが、私はそれが腑に落ちなかった。これからテレビや雑誌に出るんだから、練習にしようと思ってYouTuberの友達に相談しました。すると『コメント返ししたほうがいい』と言われたんです。私はその言葉を待っていたのかもしれません。それで批判コメントも一つずつ返したら、本当にアンチがいなくなった。それどころか、そのコメントのやりとりがおもしろいとファンになってくれる人もいたんです。今ではいいコメントしかつかなくなりました。批判は味方にできるし、批判もあるからブレイクできる。というか、批判コメントなんて、そもそも大したことないんです。だから、若い人に向けては、こんなおばさんが頑張ってるんだから、何をびくびくしてるの、好きなことやりや、って思いますね」

批判を恐れない生き方ができれば、人生の可能性は広がるとエールを送る。さらにTAEKOさんは、インフルエンサーとして活動するうちに、自分のスタンスや存在価値を見つけることもできたと話す。

目立ってなんぼ、批判なんて怖くない

「SNSを始めた当初はかっこいい自分を演じて、一切笑っていませんでした。でも、笑顔の投稿の方が『いいね』が多いことに気づきました。私は若くもないし、スタイルも良くない。インスタなんて若い人がメインなんだから、そういうのはモデルさんに任せて、私はファッションが好きな人以外にも、笑顔を発信しようと思いました。映える時代はもう終わり。ベラコレでは、生活感を出して笑える部分を入れて、共感を大事にしています。私の役割は、ファッションを通して人生の楽しさや勇気、希望を伝えることなんです」

10年間、笑顔とファッションを忘れていたTAEKOさん。それを二倍にも三倍にもして返すように、たくさんの人に笑顔とファッションの力を届けている。

目立ってなんぼ、批判なんて怖くない
share
    Recommend
    • たなかはな
      泥臭さ上等、多様性ポップな演歌の花道
      たなかはな
      2021.11.29 Documentary #Work #Music
    • バーディー
      グミは多様性の象徴 「人類がグミから生き方を学べば、きっと世界は平和になるのに」
      バーディー
      2021.11.29 Documentary #Art
    • 変化に敏感すぎて生きづらい? 最近よく耳にする「HSP」ってどんな人?
      2022.02.17 Theme & Feature #Various
    Latest
    • 伊藤亜里沙

      美しさも人間関係も、心から欲するものを追求できれば世界は平和になる
      伊藤亜里沙
      2024.04.23 Documentary #小顔・フェイスライン #スキンケア
    • airi

      愛車は「Kawasaki ZX-6R」。行動派ドレススタイリストが描く美容と人生のロードマップ
      airi
      2024.04.17 Documentary #小顔・フェイスライン #二重・目元
    • 芹澤玲子

      お客様へのホスピタリティのために。 銀座のホステスが選択した自己投資先
      芹澤玲子
      2024.04.12 Documentary #スキンケア