Documentary
Documentary #Work #Movie

きこえないセカイのコミュニケーション
今村彩子は“相手を知りたい”から映画を撮る

2022.02.21
今村彩子
取材・文:有竹亮介(verb)
撮影:鈴木真弓
手話通訳:北村奈緒子
今村彩子 映画監督、Studio AYA代表。小学生の頃に映画監督を志し、大学在籍中にアメリカに留学して映画制作を学ぶ。主な作品に『珈琲とエンピツ』『架け橋 きこえなかった3.11』『Start Line』『11歳の君へ ~いろんなカタチの好き~』『友達やめた。』がある。現在は映像制作のかたわら、愛知学院大学で講師も務める。
令和3年度文化庁映画賞・文化記録映画部門で優秀賞を取った作品『きこえなかったあの日』。被災地で生きるろう者・難聴者の生活を追ったドキュメンタリーだ。その監督が、自身もろう者である今村彩子さん。彼女がカメラを回し続ける理由を聞くと、「マイノリティ」や「マジョリティ」という言葉に捉われない、人対人のコミュニケーションの本質がみえてきた。

私にとっては当たり前
「音を失ったっていう感覚はないんです」

生まれたときから耳がきこえない、今村彩子さん。家族は皆健聴者だという。

私にとっては当たり前
「音を失ったっていう感覚はないんです」

「耳がきこえないことは、私にとっては当たり前。だから、音を失ったっていう感覚はないんです。幼い頃から、相手の口の動きを読み取って、話していることを理解していました。ただ、両親や弟と家族4人でいるときは、すべての会話を把握することが難しくて、寂しいという気持ちを抱くこともあったかもしれません」

家族は口を大きく開けて話すなど、理解しやすいように配慮してくれたが、家を出るとまったく異なる世界が広がる。小・中学校は、地元の公立校に進んだ。クラスメイト全員が耳がきこえる環境で、改めて自分の耳がきこえないことを思い知る。

「小学校に通い始めてから、きこえる人中心の社会で生きるのは不便だな、寂しいなって感じるようになりました。それでも小学校はなんとかなったのですが、中学校は難しかったです。教科ごとに先生が変わるから口の動きが読み取りづらかったし、英語のリスニングもできなかった。同級生にいじめられたこともありました。負けず嫌いだから頑張ろうって思ったけど、3カ月くらい学校に行けない時期があって……」

限界を感じ、中学2年生で名古屋聾学校に転校。クラスメイトは全員ろう者で、主に手話でコミュニケーションを取っていた。

私にとっては当たり前
「音を失ったっていう感覚はないんです」

「その頃の私は『手話は話せない人、読み書きができない人が使うもの』という偏見があって、最初はクラスメイトと距離をとっていました。でも、口の動きを読み取るより、手話の方が入ってくる情報量が多いことに気が付いたんです。例えば、遠くで友達同士が話してるのを見かけたときに、口の動きを読み取るのは難しいけど、手話なら会話の内容がわかるんですよね。それまでの私は、情報を全然取り入れられてなかったんだなって」

親の愛情から芽生えた
映画監督という夢

映画監督を志したのは、小学校中学年の頃。当時はテレビに字幕機能がなく、家族みんなでテレビを見ても、自分だけ内容を把握できなかった。そんな自分のために、父が字幕版の洋画のビデオを借りてきてくれた。最初の一本目は『E.T.』。

親の愛情から芽生えた
映画監督という夢

「初めて家族と一緒に楽しめた映画が『E.T.』で、今でも一番好きな作品です。学校で友達の会話に入れなくて寂しくても、毎週父が借りてきてくれるハリウッド映画を見るとドキドキして、勧善懲悪の結末にすっきりして、明日からも頑張って学校に行こうって思えたんですよね。そして、いつか私も映画を撮って、元気や勇気を分けてあげられたらいいなって考え始めました」

愛知教育大学在籍中の19歳の時、映画の撮り方を学ぶため、1年間アメリカに留学する。

「本格的に留学を考え始めたのは、中学校を3カ月休んでいたとき。耳のきこえない女性が、アメリカ留学の体験について綴った本を、母が買ってきてくれたんです。それを読んで、私が留学するのも夢物語ではないんだなって思いました。それと、高校の英語の先生が、英字新聞や雑誌を教材にしたり、英語での交換日記をしてくれたりしたおかげで、英語を好きになれたことも大きかったです」

しかし、たった一人でのアメリカでの生活は、心が折れそうになる瞬間もたくさんあった。

親の愛情から芽生えた
映画監督という夢

「アメリカに知り合いはいないし、英語の手話もできないから、最初は孤独でした。スーパーで買い物するだけでも、相当な勇気が必要でしたね。でも、自分で選んだ道だから泣き言は言えないなって。今思うと、我ながら恐ろしいことをやったなって思います(苦笑)」

アメリカの学校で映画制作の基本を学び、帰国してから実践を重ね、撮影にのめり込んでいく。

「当時あった『名古屋ビデオコンテスト』という大会に出品することを目標に、映画制作に乗り出したんです。そのときに撮影したのが、私の出身校の豊橋ろう学校。楽しい学校だということを伝えたくて、軽い気持ちで始めました。レポーターとして、健聴者の男の子にも来てもらって。彼にはろうの友達がいて、ちょっと手話もできたんです」

豊橋ろう学校での2日間の撮影が終わる頃、レポーターの彼がこう言った。「僕は心のどこかでろう者をかわいそうだと思ってたけど、今はそんな自分がかわいそうだと思う」と。

親の愛情から芽生えた
映画監督という夢

「ろう学校に通う子どもたちと一緒にご飯を食べたりお風呂に入ったりしたことで、耳がきこえないこと以外は同じなんだって感じたんでしょうね。それまでは『耳がきこえない』にフォーカスを当てて接していたけど、一緒に生活して相手の個性や特徴が見えてくると、『耳がきこえない』が『日本人である』『からあげが好き』といったことと同列の情報のひとつになったんだと思います」

ろう者だから特別なわけではなく、耳がきこえないことはその人の特徴のひとつ。“触れ合うことで人の感覚は変わる”ことを知り、その大切さを伝えるため、ドキュメンタリー映画を撮っていくことを決意する。

ある事柄においては
「マジョリティ側にいるのかな」

20代の頃は、「耳がきこえない人のことを知ってほしい」という不満や怒りを原動力に、ドキュメンタリー映画を制作してきた。レポーターの彼のように、見てくれた人の感覚を変えたかったのだ。

「でも、2016年に撮影した『Start Line』という映画をきっかけに、気持ちが変わったんです。きこえる人もきこえない人も、根本的なところは同じなんだなって」

ある事柄においては
「マジョリティ側にいるのかな」
ある事柄においては
「マジョリティ側にいるのかな」
『Start Line』より
『Start Line』より

『Start Line』は、自分自身が自転車をこぎ、沖縄から北海道までを走り抜けた57日間を記録した作品。コミュニケーション下手な自分とさまざまな土地の人との出会いを、ありのままに映し出した。

「この映画の上映会で、耳がきこえるお客さん数人から、『自分もコミュニケーションが苦手なんです』って言われて、驚きました。私は、“きこえる人はなんでもできる”って思ってたんです。だから、きこえない人のことを理解して、歩み寄ってほしかった。だけど、耳がきこえてもきこえなくても同じなんだってわかったら親しみが持てて、お互いに頑張ろうねって思えるようになったんです」

一方で、不満や怒りという原動力を失い、何を撮ればいいのかがわからなくなってしまった。暗中模索の日々のなかで、アスペルガー症候群の友達、まあちゃんから「あやちゃんは一般の脳みそだ」、と言われる。

ある事柄においては
「マジョリティ側にいるのかな」

「私は“耳がきこえない人”というマイノリティとして生きてきた自覚があったので、まあちゃんの言葉に動揺しました。私は、マジョリティ側にいるのかな、私がまあちゃんに歩み寄らないといけないのかなって。自分のなかでモヤモヤが生まれて、その正体を知るためにカメラを回し始めて、『友達やめた。』って映画ができたんです」

ある事柄においては
「マジョリティ側にいるのかな」
『友達やめた。』より
『友達やめた。』より

過去を振り返ると、自分は人と会ったときに「この人はきこえる人だ」と、無意識的にカテゴリー分けしていたことに気づく。「きこえない人として見られたくない」という思いで、映画を撮ってきたはずなのに。

「まあちゃんとのやり取りを通じて、マイノリティやマジョリティという概念で人を分けることが随分減りました。誰かと1対1で会ってるときは、マイノリティもマジョリティもないし、“マイノリティだと思ってる人が知らないうちにマジョリティになっている”こともある。そのことに気づくと、相手の印象だけでなく、自分自身の捉え方も変わると思います。数が多い少ないで分けるんじゃなくて、みんな一人の人間なんですよね」

被災地で生きるろう者・難聴者の生活を追ったドキュメンタリー『架け橋 きこえなかった3.11』。令和3年度文化庁映画賞・文化記録映画部門で優秀賞を受賞した。
被災地で生きるろう者・難聴者の生活を追ったドキュメンタリー『架け橋 きこえなかった3.11』。令和3年度文化庁映画賞・文化記録映画部門で優秀賞を受賞した。
『架け橋 きこえなかった3.11』より
『架け橋 きこえなかった3.11』より

コミュニケーションで大事なものは
手段じゃなくて気持ち

今、映画を撮っている理由は、自分を知ってほしいからではない。異なる特徴をもった相手と仲良くなる方法を、自分自身が考えていきたいから。

コミュニケーションで大事なものは
手段じゃなくて気持ち

「悩んでいる人や自分自身を映像に収めて、導き出した答えを映画にして、それを見てくれたお客さんの感想や考えを聞かせてもらうことで、新たな発見や気付きが得られるんですよね。新しい物事の見方を教えてもらうために、映画を撮っている感覚です」

その経験の中で得たひとつの答えは、コミュニケーションで大事にするべきは、“気持ち”だということ。

「もし、好きな人や大切な人の耳がきこえなかったら、手話を学んでみよう、筆談してみようって考えると思うんです。そういう気持ちが大事で、人同士のコミュニケーションって実はすごくシンプルなことなんじゃないかなって。最初の方で『手話の方が情報量が多い』って話したけど、大切なのは情報量じゃなくて、その人と一緒にいて“楽しいかどうか”なんですよね」

伝える技術や手段よりも、「一緒に楽しい時間を過ごしたい」という思いが、コミュニケーションを活性化するのだ。

「私の映画を見てくれた人が、『夫婦は究極の共生だよ』って言ってたんです。ケンカしたとして、友達なら離れられるけど、夫婦は同じ家で寝なくちゃいけない。それってどういう関係性なのか、興味があるんです。私は独身なので、今後の参考のためにも、次は夫婦を撮ってみたいなって思ってます(笑)」

『友達やめた。』より
『友達やめた。』より
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