成功したなんて、最後までわからない
“埴輪1,000体修行”で、自分と向き合う陶芸家
撮影:森カズシゲ
将来を選べるチャンスなのに
流されて決断するのは嘘っぽい
志村正之さんが陶芸家を志したのは、大学の卒業が迫る4回生になってから。教師を目指す同級生たちのなかで、自分が目指す道はここにはないと、違和感を抱えていたという。
「僕が通っていた大学は教員志望の学生が大半を占めていました。1回生のころから教職課程を履修するのですが、小中高と学校での先生の振る舞いに疑問を持っていた僕には、大学での教授と学生との関係がそれをなぞっているように感じられて、入学早々、興味を失ってしまったんです。それにみんな人生を自分で選択するというより、流れに乗っているだけに見えました……。せっかく自由に将来を選べるチャンスなのに、そんな選択をするのは嘘っぽく思えたんですよ」
早くから進路を決めていた学生と、社会に出る扉の前で、本当にこの道で正しかったのだろうかと、立ち止まった志村さん。温度差があったとしても、仕方がないだろう。
「では、何をやろうかって考えたとき、真っ先に浮かんだのは、“土から何かを作り出したい”という漠然とした思いでした。たとえば農業もそんな仕事です。同時に自分にしかできないものを作ってみたい。そんな欲が湧いてきたんです。そこで行き着いたのが陶芸でした」
そして、大学卒業と同時に、愛知県瀬戸市で陶房を営む寺田康雄さんのもとで修行を積むことになった。
「いわゆる弟子入りです。代々、焼き物を作っている陶房を手伝いながら、お子さんの送り迎えなんかもしていました。でも、幼い頃から焼き物のイロハを吸収して育った陶芸一家と、大学卒業後に飛び込んできた、ズブの素人の僕とではギャップがあったんでしょう。基礎を学んで来いと、先生の薦めで県内の窯業専門校に入学することになりました」
幼少に見た怪獣の造型が
創作をはじめたら、滲み出てきた
焼き物をイチから学ぶなかで、備前焼きに関心をもつようになったという。卒業後は、岡山県の陶房に移る。そして1993年に故郷の神奈川県足柄市に戻り、「時光窯」という自身の陶房を作るのだった。ここで焼いているのは、歴史の教科書でお馴染みの埴輪だ。陶芸家といえば、壺や茶碗などを作っているイメージが強い。なぜ埴輪を選んだのだろう?
「埴輪が珍しいのか、どうして作っているのかって、よく聞かれます。僕はウルトラマンとか仮面ライダーとか、いわゆる特撮ヒーローの全盛期に育ちました。それらの作品に登場する怪獣・怪人の多くは、土偶や埴輪からインスピレーションを受けていると言われています。幼少期にそんな怪獣・怪人を見て育った僕が、埴輪をモチーフに作品を作るようになったのは、とても自然なことだったんじゃないかと思っています」
見たことも、聞いたこともない、未知なるものを生み出すことは難しい。成長するなかで、蓄積してきたものが、無意識に作品に滲み出てくる。それが創作するということなのかもしれない。また、ひとつの型があると、個性を出しやすいのだという。
「踊る埴輪と呼んでいますが、動きのある埴輪だけを作っています。この型に決めてから、自分の色が出せるようになってきました。型のない作品を作っても、人には伝わらないんですよ。自分を表現したいという思いだけが先行して、いろいろなアイデアを詰め込んでしまうので、結果的にわかりにくい作品が出来上がってしまうんです。型があるからこそ、個性が出る。そのことに早く気づけた僕はラッキーだったと思っています」
埴輪というモチーフを見つけた志村さんは、山に籠り、作品づくりに没頭するようになっていく。そして、ある日、“埴輪1,000体修行”を宣言して、1,000体の埴輪で陶房を埋め尽くすことを決意するのだった。
大抵のことは想定の範囲内だけど
埴輪1,000体が並ぶ光景は想像できない
「埴輪が1,000体も山の斜面に並んでいる光景って想像できないじゃないですか? 大抵の夢や挑戦って想定の範囲内に終わることが多く、はじめから結果が見えてしまいます。でも、ここを埴輪が埋め尽くしている光景を僕は想像できなかった。誰もやったことがないことに挑戦したいんです」
完成している埴輪はまだ200体ほどだ。生活費や創作に必要な費用を稼ぐために、商品を作りながら、埴輪を焼いている。したがって、作れる数に限界があるのだ。窯に火を入れられるのも、1年に1度だという。窯の温度を上げるために必要となる、大量の薪を集める作業、薪割りも一人で行っているからだ。完成までの道のりはまだまだ長い。
「埴輪は並べるために作っているので、誰にも売らないと決めているのですが、『一部を売って、お金にすればいいじゃないか』と言われることがあります。確かにまとまったお金があれば、薪をお金で買ったり、手伝ってくれる人を雇うこともできます。そうすれば創作に使える時間が増え、窯焼きも年2回に増やせるかもしれません。結果的に多くの埴輪を作れる可能性があります。でも、それはやりたくないんです」
なぜなら、死ぬまで続けたいからだ。
「一番の理由はモチベーションの維持です。もうすぐ60歳ですから、老いて次第に気力がなくなっていくかもしれません。1年に1度の窯だきも、2年に1度になってしまう可能性があります。ただ埴輪を作ることが目的だったら、自然と作れることができる数も減っていくわけです。でも、1,000体並べるという“数の目標”を掲げていたら、モチベーションは下がりません。修行のようにゴールを目指して、ひたすら作り続けられます。せっかくこんなに楽しいことを見つけたんだから、死ぬまで続けたいという思いもあるかな」
そういって志村さんは笑う。
最高の作品ができたと思っても
それは気の迷いにすぎない
「それに自分は人生最高の埴輪を追い求めていないんですよ。いつも前回より、良いものを作りたいという欲求はあるけれど、ゴールはそこじゃない。それに焼き物はロクロで造形したときの印象と、焼きあがったときの印象は違います。窯のどこに置いたのかで色合いも変わるし、焼き物はすべてを思い通りにできるような創作物ではありません。それに作品の評価を決めるのは、陶芸家本人じゃないという思いがあります。作った人が最高の壺ができたと自画自賛しても、そもそも“最高の壺”って何なんだって話ですよね。他の誰かが“最高だよね”って同調してくれないと、気持ちも揺らぐじゃないですか。要するに陶芸家が作品の価値を決めるんじゃなくて、第三者が価値を高めてくれるわけです」
もしも、最高の焼き物ができたとしても、それは気の迷いだと看破する。
「やっぱり芸術家の価値を決めるのは、質ではなく、数じゃないかな。費やした時間もそう。たとえば写真家でも一枚、納得できる写真が撮れても、それまで撮ってきた無数の写真の上に成り立っている。それに、たまたま最高の一枚に見えたとしても、気の迷い。しかも、一番ダメなのは、その評価に引っ張られてしまうこと。例えば、何かの作品展で、賞を取ると、そのあと自分のモノマネをしはじめてしまうんです。たまたま、それが評価されただけなのに、あれより良い作品が作れないと、評価されたものを基準に考えるようになってしまう。評価されたものを追いかけちゃうんですよ。それで自分を見失っていく。それが芸術家にとって一番苦しいんです。まあ、こんな山奥で僕が語っても意味ないんだけどね(笑)」
そういうとイタズラっぽい笑みを浮かべる。とにかく埴輪づくりを楽しんでいるように見える志村さん。最後に、こんなことを語ってくれた。
成功したなんて、死ぬまで最後までわからない
だから、人生を肯定しながら生きていく
「できれば、“俺ってやっちまったなー”と思いながら、これまでの自分の人生を笑って死にたい。たぶん、何かを成し遂げるような人って、向上心があるから、最後まで、もっとできることがあったんじゃないか、あのときこっちの道を選んでおけば良かったんじゃないかって思ってしまう。後悔が残るわけです。でも、時間が巻き戻るわけでもない。だから、後悔してもしょうがないんですよ。考えるだけ無駄なこと。もちろん、僕にも分岐点はあったけれど、もし、戻れたとしても、必ず同じ選択肢を選ぶと思うんです。だって、僕だから。その選択をもうひとりの自分が、“またお前はそっちを選んだのか。やっちまったな〜”と、茶化しつつ、人生を肯定してあげる。だって、成功したのか、失敗したのかなんて、人生の最後までわからないじゃないですか。その瞬間は失敗だと思っても、その先に成功が待っているかもしれない。自分を可愛がってあげながら、生きるのが理想なんですよ」
大学を卒業し、弟子入りし、陶芸家として独立。40年近く、この世界に身を投じてきた。バブル時代には陶芸家がもてはやされる様子を目の当たりにし、自身の作品を展覧会で発表することもあった。何かを生み出し、発表することは、誰かに批評されることでもある。酸いも甘いも経験したからこそ、見える地平があるのだろう。