衝動に蓋をしない生き方と人のリアル
路上で見つけた役者としての個性
撮影:有泉伸一郎(SPUTNIK)
路上芝居は崖っぷちの最終手段
東京に夜の帳が降りると、駅前に路上役者亮佑さんが姿を現す。彼は週6日、そこで立ち止まる客のために一人芝居を演じる。こう書くと、さぞや自信たっぷりでメンタルの強い人だと思われがちだが、そうではないという。
「役者のスタートは、大学生の20歳の頃でした。芸能事務所にスカウトされたのがきっかけです。とはいえ、実際は登録手数料として10万円払ったので、実質スカウトなんて言えませんね。それでもやってみようと決めたのは、高校まで野球しかやってこなくて、大学に入ったらいろいろな世界を見てみたいと思ったからです」
社会勉強で役者をやっていたため、進路を決めるときには、就職活動もやってみたし、大学院の進学も考えた。しかし、これが運命なのだろう。NHKの単発ドラマのオーディションに合格する。
「成功した未来を想像したときに一番ワクワクしたのが役者だったので、役者で生きていこうと思いました。メインキャストではありませんでしたが、それでも台詞のある役付きキャストだったので、親を説得するだけの材料になるんじゃないかなと。大学卒業後は、実家のある横浜から上京して一人暮らしを始め、アルバイトをしながら、役者の仕事をする生活になりました。22歳の頃は、海外ロケのあるビールのCMも決まって、映像でそれなりに仕事がありましたが、23歳から25歳にかけて、ほとんどなくなっていきました」
映像の仕事がなくなってからは、バックパッカーや自主映画の出演、ワークショップでのレッスンをやってみた。だが、全てをやり尽くした後、本質的な演技力を磨くために舞台に立つことを決めたという。
「正直、舞台は友達にチケットを売ることが嫌で逃げていました。自信がなかったんでしょうね。でも、実際に舞台に立ってみると、もう一度この場に立ちたいと思ったんです。反応がダイレクトに届いたり、みんなでつくり上げる芝居が楽しくて。それに、舞台のチケットバックという仕組みを知り、集客数を上げれば、それだけ自分の収入も上がるということも分かりました。だったら、集客力を上げる努力もしなければと思って始めたのが、路上芝居でした」
路上芝居は、舞台集客のための崖っぷちの最終手段だった。とはいえ、決意したものの、なかなか路上で芝居が始められなかったという。
「初めて路上に立ったのは、2016年9月。新宿駅南口でした。それまで1~2カ月くらい準備して演目をつくり上げたのに、怖くて演技ができなかった。3時間突っ立って、ただ道行く人々を眺めるだけ。2回目もできなくて、3回目で奥さんについてきてもらってもできなくて、ようやく芝居ができたのは、4回目でした」
さまざまな紆余曲折があって、河合亮佑から「路上役者亮佑」に。この日、唯一無二の生き方をする路上役者が誕生した。
YouTubeじゃなくて「僕が路上にこだわる理由」
舞台の集客ならば、他にも手段はあるだろう。例えば、YouTubeではダメなのだろうか?
「路上であれば、人と直接会うことができます。舞台に来てもらうことって、すごく難しい。技術というより、人間性を知ってもらって初めて心が動き、ファンになってもらえる可能性が生まれるのかなと思います。人間性を知ってもらうには、YouTubeで画面越しに伝えるより、直接会うことが一番。東京を含めた一都三県の都市圏には3,600万人が暮らしていて、東京には日常的にたくさんの人たちが足を運ぶ。僕の計算では、500人のファンができれば、舞台で食べていけます。3,600万人のうちの500人。つまり、7万人のうち1人にファンになってもらえれば、舞台で食っていける。僕がすべきことは、その7万人に1人の人に出会うための努力。そのために路上に立っています」
初めて新宿駅南口に立ってから、場所を変えるスタイルにはなったが、来る日も来る日も路上に立っている。そんな今でも、初めてお金をもらったときの感動は忘れられないと言う。
「最初にお金をもらったのは、3回目に路上に立ったときでした。お金をもらえる実力なんてないと思っていたので、投げ銭箱も置いていなかった。なのに、一人の男性が『楽しませてもらったから』と財布にある小銭を全部渡してくれたんです。その瞬間は、本当に特別でした。初めて1,000円札をもらったときのこともいまだに覚えています。今後、続けていけば、5,000円や1万円をもらえる日も来るんだと自然に思え、自分の中で視界がパーッと開けるような不思議な感覚を味わいました」
路上にこだわる理由は、人からもらう感動だけではない。役者として人間として、自分の中から湧き上がる感情が違うのだそう。
「初めて新宿駅で路上に立ったとき、正直、演技でいうと納得いくものではありませんでした。でも、物凄い開放感がありました。ようやく一歩を踏み出せた。思わず、新宿の人混みのなかで、地べたに万歳して寝そべりました。初めてお金をもらったときや、1,000円をもらったときなど、自分の中の常識が、現実によって崩される瞬間はものすごい快感で、現実が予想を上回ると、何とも言えない開放感を味わえます。
多分その瞬間、自分に対して伸び代を感じているんだと思います。自分の新たな可能性が見えたときは、言葉にできない感動を味わえる。路上には、路上でしか味わえない快感があるので、路上芝居自体が、僕にとって最高のエンターテインメントなんです」
路上で見つけた衝動に従った演技、そして個性
亮佑さんが、日々演じているのは、喜怒哀楽をテーマにしたコメディタッチの一人芝居。失恋や謝罪が喜びに変わる瞬間など、心が大きく揺さぶられる人生のワンシーンを切り取っている。
「僕はリアリティのある芝居が好きです。目指すのは、“演技をしていない演技”。路上では一人芝居をしているので、そこに相手がいるかのような世界をつくるのが理想です。僕が思う芝居が上手いの定義は、『嘘の濃度が薄い人』。芝居は演技なので嘘をゼロにすることはできないけど、限りなくゼロに近づけたい。日常のなかで、わずかでもその世界観に浸ってもらえたらうれしいですね」
東京の駅前は雑踏にまみれた日常そのもの。しかし、亮佑さんの周りの非日常に惹きつけられ、立ち止まる人たちがいる。
「お客さんに、元気だね、メンタル強いねとか声を掛けられることがあります。でも、4回目でやっと路上に立てたくらいなのでメンタルは強くないです。もちろん、自信もないし、芝居も上手くない。立ち止まってくれる人は、20代中盤から40代までの自分と近い年代の男性が多いです。それは、醜くてもやりたいことを真っ直ぐやっている。その姿に共感してくれているのかなと思います。僕と同年代ということは、人生に迷い始める時期。結果は出ていないし、泥臭いけど、そんな中でもがいている姿に心が動くのかもしれません」
シェイクスピアの『お気に召すまま』に「この世は舞台、人はみな役者」という名台詞がある。この言葉を借りるなら、誰もが与えられる役目を演じているなかで、感情のままに生きている人を見てハッとさせられるのだろう。
「ある意味、大人になるって、衝動に蓋をして理性に従うことだと思います。大人なのに、会社に行きたくないから行かない、と衝動に従ってたら怒られます。でも、舞台では悲しいシーンでは悲しんで、怒るシーンでは怒るというように、衝動にそのまま従うことが求められる。衝動に従える役者であるために、日常でも芝居でも、なるべく自分に嘘をつかないことを意識しています」
毎日稽古する舞台役者でも、客の前で演じるのは1カ月のうちせいぜい1週間程度。でも路上役者は毎日、舞台に立つ。メンタルが強いわけではないのに、路上で見つけた生き方を私たちにリアルに見せてくれるところが亮佑さんの個性、そして魅力なのだろう。
路上役者の葛藤と目指す次なる世界
亮佑さんは、路上に立つことが目標なのではない。その先の人生のためにあると語る。
「路上役者をやっているのは舞台の集客、つまり舞台役者1本で生活するための手段です。今の目標は、舞台役者として家族を養えるようになること。3年前に舞台に立ったときは、103人を集客できたので、次に舞台に立ったら何人が来てくれるのかなと不安に思っています。
3年前、1カ月くらい路上に立てない時期がありました。でも、もう6年目ですし、緊張することも少なくなってきた今、辞めることの方が難しいです。辞める勇気がないだけなのかもしれません。信じて続けていけば大丈夫だと思う反面、揺れ動くこともあります。やりたいことをやり続けたからといって、後悔しないわけじゃない。別のやり方もあったんじゃないかという後悔は常にあります。だから、辞めるとなったら、自分の意志で決めたい。自分の中で全てをやり尽くして、それでも結果が出なかったときに燃え尽きるのかなと思います。でも、今はまだその時期ではありません」
役者を続けられる確証はないなかで、もがいているのだ。しかし、「路上に立ったことに後悔はないか」という問いには、力強く「もちろん」という言葉が返ってきた。
「毎日、路上に立っていると褒められることもあれば、けなされることもあります。でも、役者って、謙遜してばかりじゃなくて、傲慢さもないとできない。けなされることもあるなかで、傲慢さを保つことは難しくて、自信を失くすこともありますが、その度に自分の芝居に価値を感じてくれる人の有り難さを感じます。自分がやりたいことをやってお金をもらうということは、本当に普通じゃないことなんだなって。
役者としての最終的な目標は、あんまり明確に考えてはいませんが、日本最大の劇場といわれるシアターコクーンでひとり芝居とかしてみたいですね。路上で出会った人を中心に、747席満員にしたら、凄くないですか? 僕は、いい芝居を見たら、なぜか生きててよかったなぁって思うんです。そんな思いを、自分の大切なお客さんたちにもってもらえたら、これ以上の幸せはないです。そういう未来は想像するだけでワクワクします。そのときまでは、頑張ります」
亮佑さんは、路上で根っからの役者になった。今日も東京の片隅で、人間くさい生きざまを演じている。