世界を見てきた日本一髪の長いダンサー
人のなかに入ってこそ、自分は何者なのかが分かる
撮影:森カズシゲ
自分だけのスタイルを確立しないと勝負できない、という意識
「引きずるくらいの長さまで髪を伸ばそうと思ったのは、ダンサーになるという夢を真剣に考え始めた時でした。20代半ばから、ダンス留学のためにニューヨークに向かったのですが、さまざまな国籍の女性がいるなかで“私らしさ”を探していくうちに、日本の美に誇りをもって戦いたいと思うようになったんです」
20代前半から、日本のクラブシーンでダンスを披露してきた彼女。関西のクラブでのLGBTイベントをメインに出演していた頃は、カラフルなウィッグをかぶるスタイルで踊っていた。しかし、海外に渡ると、違うスタイルを求められたという。
「ありのままの自分を表現することが求められましたし、そうでないと勝負できない世界でした。また、日本のイベントではあくまで盛り上げ役というポジションでしたが、海外のショーではダンサー自身がメインになります。そういった立ち位置の違いを感じるなかで、私も『自分だけのスタイルを確立しないと勝負できない』という意識が出てきて、それまでのスタイルを変える決意をしたんです」
日本人の自分が“私らしさ”を表現するにはどうすれば良いか。試行錯誤するなかで頭に浮かんだのは、古典的なかぐや姫や『百人一首』に描かれた女性たちの姿。長く伸びた黒髪に日本ならではの美意識を感じ、目指す先が見つかった。
「ただ、髪って一気に伸びないので、かぐや姫という理想に近づくには時間がかかりましたね。伸ばしている間もそのときにできる最大の自分らしさを表現しようと努力していましたが、修行という感覚が強かったかも(笑)。数年後に床ギリギリまで伸びてきて、個性として受け止めてもらえるようになる一方、『髪を引きずってほしい』という要望もあったりして、ゴールはないんだなって思いました
ダンサーとしての個性を確立するために伸ばし始めた髪だったが、思いがけないところで評価を受けることになる。SNSで長く伸ばした髪の写真を投稿すると、モデルとしてのオファーが届くようになったのだ。
「私も知らなかったのですが、欧米では髪の長いモデルの需要があったんです。ロングヘアの美しさを競うコンテストもありますし、床につくかつかないかで価値が変わったりするんですよ。今はロングヘアモデルの事務所に所属して、モデルの仕事も行っています。髪を伸ばしたことで表現者としての幅が広がり、さまざまな要望に応えられるようになりました。さらなる表現を探求していくことが、私の夢といえるかもしれません」
多様な個性に触れることで
自分の個性にも気づけるようになった
20代半ばでのダンス留学は、勤めていた旅行会社を退職してのチャレンジだったが、アメリカに向かうことに躊躇はなかったという。
「大学時代は、長期休暇のたびにバックパッカーとしてアジアを回っていたくらいなので、海外に出ることにためらいはありませんでした。仕事も母から『せめて3年は一般企業に勤めなさい』と言われたから就職したかたちだったので、特別未練もなかったんです。ニューヨークに着いた時に後悔はなくて、挑戦したいという気持ちが大きかったですね。もともと人に管理されるより自分で切り開いていきたい、という感覚が強いんだと思います」
留学先のアメリカは、さまざまな人種が暮らす多様性が認められた社会。改めて当時を振り返ると、その環境下にいたからこそ、日本人としての自分の個性と向き合えたのかもしれない。
「周りの人は、それぞれ人種が違うし、LGBTQ+の分類も広いんですよね。そのなかにいると、まだ見たことがない世界がたくさんあるし、もっと見たいって思いが強くなって、いろいろなショークラブを探検したんです。多様な個性をもつ人たちと接することで、自分の個性にも気づけるようになったと思います。だから、日本の美というところにも行きついたのかもしれません」
自分の個性やオリジナルの美しさを磨く一方で、自分にはない個性や美を吸収することも欠かさなかった。多様性社会に身を置くからこそできることであり、それがニューヨークに来た理由なのだと気づいた。
「ニューヨークのショークラブには、さまざまな国籍の女性がいて、それぞれに違う美しさがあるんですよ。衣装の色の選び方一つとっても、みんなそれぞれ違う発想でかっこいい。あらゆる面で刺激を受けましたね。互いにメイクやスタイリング、ショーの構成を真似し合って、そのなかで自分らしく輝く道を見つけていくのが楽しかったです」
ダンサーでなくとも美しさを磨くことは大切。そう感じているという。なぜなら、美しさは人に喜びや刺激を与えるから。
「人であっても、アートや植物であっても、美しいものを見るとうれしい気持ちになるじゃないですか。そして、自分なりの美しさを磨いた結果、人に認められるのもうれしい。互いにとってプラスに働くので、美を磨くことは大切だと思います。人からの評価は、自分らしく輝くための学びにもなりますからね」
自分の経験だけを材料に成長するのは限界がある
海外生活のなかで人の個性を受け入れながら、自分の個性と向き合ってきた。自然とそのように動けたのは、人が好きだからだという。
「自分の経験だけを材料に成長するって、限界があると思うんです。人と触れ合ったり誰かが書いた本を読んだりすることで成長させてもらえるし、人のなかに入ってこそ自分は何者なのか考えるんですよね。私は人の良いところを見つけることが好きだから、良いところを取り込むことも自然とできているんだと感じています」
「人を知ることで、自分自身を成長させるというサイクルは、多様性社会でこそ活発化していくもの」と話してくれた。それはニューヨークだけでなく、現在の日本にいても感じることだという。
「特に東京で感じることかもしれませんが、今はコンビニや飲食店で外国人の方が働いている光景が普通になりましたよね。コロナ禍になる前はインバウンドの誘致も活発で、観光で経済が回る一面もあったと思います。日本も徐々に外国人を受け入れる社会に変わってきているように感じるんです。今後さらに多様化が進んでいくと、日本人一人ひとりの個性が多様な個性に飲み込まれてしまうかもしれない。だから、違う個性の人と触れ合うことで自分の個性を見つめ直し、自分自身を尊いと感じてほしい。そう感じられる社会に変わっていってほしいです」
今の日本に足りないものは、自分の住む国を大切に思い、自分自身を好きになる“自尊心”かもしれない。自尊心を育み、個性を見出すために必要なことは、自分の“好き”を信じること。
「好きだと思えることがあるって、大事なことじゃないですか。それが人と同じだったとしても悪いことじゃないし、『人と違うことをしなきゃダメ』って自分を否定するより、ありのままの自分を信じて進んでいった方が自分自身を好きになれると思います。そして、その“好き”が夢につながるものだとしたら、素敵ですよね。私はダンスがずっと好きだったし、それが夢になりました。夢ができると、それに揺り動かされていろんな行動を起こせるし、さまざまなきっかけも生まれるんですよね」
夢を追いかけて日本を飛び出した彼女が、多くの人と接するなかで見つけた個性は“情熱”。
「ポールダンスには、定義やルールがないんです。体を鍛えてスポーティに見せるダンサーもいれば、女性らしい仕草で色っぽさを強調するダンサーもいる。そのなかで私が届けたいものは、情熱なんですよね。細かな動きやスキルではなく、自分の魂を響かせる表現がしたいんです。何事も一度決めたら永遠に追求するような情熱を、ダンスでも感じてほしいですね」