『ぷよぷよ』を世界に広めていく
プロゲーマーTemaの飽くなき探求と超連鎖的人生
撮影:片桐 圭
https://tema2424.tumblr.com/
ぷよぷよが強かった子どもが
2時間かけて強い奴に会いにいく
Temaさんが人生を捧げることになるゲームソフト『ぷよぷよ』。出会いは、5歳のころに遡るという。ただ、どうして、このソフトを手にしたのか、彼女はもう覚えていない。
「はじめて購入したゲームソフトが『ぷよぷよ』でした。なぜ、それを選んだのか、当時のことをよく覚えていないんです。でも母親いわく、私が欲しいと、ねだって買ってもらったみたいですね。ゲームソフトを気軽に買ってもらえるような家庭環境ではなかったので、自然とやり込むようになっていきました。小学生になると、クラスで一番強くなっていたのを覚えています」
友だちが遊びに来れば、ぷよぷよで対戦。やりこんでいただけに、勝つのはいつも自分だった。次第に自信が大きくなり、腕試しをしたいという気持ちが芽生えた。そして中学生になったある日、ぷよぷよの大会に出てみようと思い立ったという。東京都から神奈川県西部へ。およそ2時間かけての遠征だったと彼女は回想する。
「一回戦でコテンパンにされました。当時は、最高でも4連鎖までしかできなかったので、当たり前の結果です。自分の実力を思い知りました」
ここまでは、よくある話だ。インターネット対戦がない時代。腕に自信のある実力者が集まる大会にでも出なければ、腕前を推し量ることはできなかっただろう。負けて熱が冷める者もいれば、もっと強くなりたいと、のめり込む者もいる。彼女は後者だった。この大会を通じて、GTRというテクニックと出合ったのだ。
「それまでは階段積みという初歩的な積み方しか知らなかったんです。出場者のひとりがGTRという積み方をやっているのを見て、私も真似るようになりました」
GTRは、「グレート田中連鎖(もしくは岐阜タナカッチ連鎖)」の略で、タナカッチというプレイヤーが発明したといわれる、ぷよぷよの積み方だ。いまでもトッププレイヤーたちが使う、連続してぷよぷよを消すための上級テクニック(=連鎖)だ。
ぷよぷよ四天王との出会いで
強さに磨きをかけていく
新しいテクニックを覚えたTemaさんは高校生になり、さらにぷよぷよにハマっていく。
「この頃からオンライン対戦ができる、ぷよぷよが登場し、学校から帰ったら、パソコンを立ち上げて、ゲームにログインする日々がはじまりました。マッチングする対戦相手も強かったのですが、倒したい!と、相当やりこみました。また、ぷよぷよユーザーのコミュニティもできるようになって、私にもぷよぷよ仲間ができたのは、この頃です」
オンラインに強い女性プレイヤーがいると、次第に名前が知られるようになっていくTemaさん。再び、遠征にも行くようになり、名古屋では当時「ぷよぷよ四天王」と呼ばれていた有名プレイヤーとも交流を持つようになる。
「野球少年がイチローにあったら、テンションがあがるじゃないですか。私にとって、彼らは憧れのプレイヤーでした。そこから、さらにモチベーションがあがって、ぷよぷよに没頭しました。早稲田大学ぷよぷよ戦術技術開発研究所というサークルに入ったのも、このころです。大層な名前のサークルですが、当時、各地の大学にぷよぷよのサークルがあったんです。交流戦もあり、早稲田は最強のサークルのひとつでした」
青春もぷよぷよとともに過ごしたTemaさんだが、就職を機に一度、ゲームと距離を置くことになったという。
「ゲーム会社の採用試験を受けていましたが、同時に公務員試験も受けていました。公務員試験に受かったことで、ゲームはきっぱり止めることにしました。『散々遊んだからもういいや、そろそろ大人にならないと』そんな思いでしたね。赴任先にもゲームは持っていきませんでした。 プロゲーマーですか? 当時は、ぷよぷよのプロシーンがなかったので、考えもしなかったですね」
ぷよぷよが念願の競技化
でも、そこに私の居場所がない
しかし、Temaさんが就職して、程なくeスポーツの時代が到来。あれほど熱中したぷよぷよでもスポットライトを浴びる舞台が用意されるようになったのだ。ゲームから距離を置くという選択をしたが、心穏やかでいられるわけがなかった。
「あるとき、eスポーツをテーマにしたテレビ番組が放送され、そのなかで、ぷよぷよの女性プレイヤー対決をしていたんです。解説者は、私の知る四天王のひとり。なんで、その場に私がいないの?と悔しくなって、連絡を取り、思わず『どうして私を呼ばなかったんですか?』と質問しました。すると、『引退しているって聞いたんで』って言われたんです。厚かましい話ですが、強いプレイヤーを呼ぶ企画で、私が候補に出なかったことが許せなくて、すぐに復帰を決意しました」
ぷよぷよの競技シーンが誕生したことは、うれしかった。でも、その場に自分がいないことが悔しかったと彼女はいう。大会に出ながら、少しなまった腕を磨いていく。そして活躍が認められ、女性で初めてJeSUというプロライセンスの公認ゲーマーになる。
「自分がプロプレイヤーになれたこともそうですが、尊敬しているプレイヤーや、仲の良いプレイヤーたちが一緒にプロになったことがうれしかったですね。ぷよぷよのコミュニティに10年以上かかわってきていたので、知り合いばかり。ぷよぷよが競技化され、気心の知れた人たちとプロとして全国を遠征するのはひとつの夢でした。それが叶ったという喜びは大きかったです」
色の見え方が異なる人も、老若男女も
同じ土俵で競えるのが、ぷよぷよ
一度、就職という、まわり道をしたものの、念願のプロとなったTemaさん。しかし、これはぷよぷよという愛するゲームを広めていくためのスタートに過ぎない。
「普通はプロゲームチームに所属するのですが、私は各界のプロフェッショナルをマネジメントしている芸能事務所を選びました。もっと、ぷよぷよのシーンを盛り上げたいという思いからです。eスポーツのチームはゲームのプロですが、メディアのプロではありません。ぷよぷよは競技化されたものの、まだ魅力が伝わりきってないと思っています。自分が大好きなゲームソフトのことをもっと知ってほしい。もっと大きなシーンになってほしい。そんな熱意しか、私にはありませんから」
確かに他のeスポーツタイトルに比べ、ぷよぷよの海外での認知度も低く、改善の余地があるだろう。前例にとらわれず、さまざまな活動を通じて、ぷよぷよの魅力を発信していきたいという。
「ぷよぷよは、色を見極めるゲームなため、色を識別しにくい人には遊びづらいという欠点がありましたが、最近は色調整モードを搭載しています。色の見え方に対する配慮など、多様性にも対応しているゲームソフトだと言えます。また、老若男女が同じ条件で競えるところも魅力だと思っています。先日もぷよぷよのレディースカップが開催されたのですが、予選を突破した16人のうち、3人は小中学生。大人と小中学生が真剣勝負できる競技は、リアルスポーツはもちろん、eスポーツでもなかなかありません」
しかも、かなりの猛者たちだという。
「下手したら、来年には私も抜かされているかもしれません。ぷよぷよを積む手順を見れば、だいたい実力がわかるのですが、私にも理解できない場所に置くプレイヤーもいます。でたらめではなく、新しい発想で手順を組んでくる子は怖いですね。もう少し実力をつけたら、あっという間に上りつめるんじゃないかな」
プロも舌を巻く若手が育っているのだ。
プレイヤーの悩みを共有できる
仲間がいるのは心強い
ぷよぷよの普及のため、さまざまな活動を視野に入れるTemaさんだが、プレイヤーとして強いことが前提だと語る。
「これからもパイオニアとしてぷよぷよの女子プレイヤーといえば、Temaといわれるような活動をしていきたい。でも、プレイヤーとして強いのが、前提です。たとえばイベントで全国各地に行きますが、そこで地元の強いプレイヤーとプロが対戦する企画がよく行われます。そこでボロ負けしたら、さすがに恥ずかしい。だから腕を磨くための研究や勉強は欠かせません」
プロが強くなるために、さらに高みを目指すトレーニングは、とても地道な作業だという。
「自分のプレー映像を振り返りながら、この積み方でよかったのか、選択のひとつひとつを振り返ります。棋士の方と同じですね。いまは、四天王のKuroroさんに師事して、アドバイスをもらったりもしています。積み方のバリエーションもたくさんあるので、GTRに限らず、落ちてくるぷよぷよを見て、瞬時に最善の手が打てるように、ひたすら勉強しています。ちょっとした空き時間があったら、画面を見て、おさらいをする。そんな作業を繰り返して、少しずつ少しずつ強くなる。急に実力があがることはないんですよ。だから、子どもたちにプロゲーマーになりたい!っていわれると困りますね。やっぱり大変だし、夢と現実は違いますから(笑)」
ただ、人生をぷよぷよに捧げ、ライバルたちと競い合うことで、貴重な体験や、かけがえのない仲間ができたと語る。
「ぷよぷよを通じて、学んだことはたくさんあります。プロとしての責任感や、人前で活動することの覚悟とか。あとはぷよぷよを通じて知り合った仲間。もちろんリアルな友達もいますが、プレイヤーならではの悩みを共有できる仲間がいるのは心強いですね。ゲームに人生を全振りしている人は少ないですから。人生の後悔はなくはないですが、好きなことをして食べていけるのは本当に幸せなことです。あのまま公務員を続けていたら、絶対に後悔していたと思います。いまの自分の人生は理論値です」