「人間味溢れる俳優でありたい」
泥臭くも道を切り拓いてきた、俳優・田邊和也のリアル
撮影:有泉伸一郎(SPUTNIK)
スタイリスト:本田 匠
ヘア&メイク:岩村 尚人
衣装:ブルゾン(IHATOV)、その他スタイリスト私物
https://www.k-factory.net/profiles/kazuya-tanabe
韓国、そしてバンクーバーで俳優の一歩を踏み出す
「僕の感覚だと、色々なチャレンジをしてみた結果、俳優になっていた、という感じです」
俳優になったきっかけを聞いて、そう答えた田邊和也さん。こう聞くと、俳優になるべくしてなったという意味に聞こえるが、実際は逆の意味らしい。
「小学生の頃から映画が好きでした。時代的に木・金・土・日とテレビでロードショーをやっていて、その日は親からも夜更かしが許されていました。でも映画だけじゃなくて、ライブで歌っていたこともありました。今でも絵を描いたり、最近では写真を撮ったりしています。演じることも含めて、表現することが好きなんだと思います。ただ、結果的に仕事になって需要があったのが俳優なんです」
表現することに興味を抱き、俳優を職業に選んだ。直接、俳優の道に進んだきっかけは、小栗旬さん主演の舞台「カリギュラ」を観たこと。
「その舞台でお芝居の面白さにハッとさせられ、役者という仕事に興味を持ちはじめたんです。そこから、いろいろなオーディションを受けるようになりました。そして、その頃に観たのが韓国映画『オールド・ボーイ』。リアリティやグロテスクさを含めて衝撃を受けて、韓国に目が向きました。当時のバイト先のバーに韓国の女優のユン・ジンソさんが飲みにいらっしゃって、幸運にも連絡先を交換させていただいたんです。韓国に渡って彼女に連絡したら監督を紹介してくださって、映画に出られることになりました(笑)」
その作品が韓国映画「ビースティー・ボーイズ」。デビューを飾ったのは、21歳の頃だった。田邊さんは、そのまま韓国にとどまることをせず、カナダのバンクーバーに渡った。
「韓国に行く前から、ハリウッド作品に出演するという目標を決めていました。カナダのバンクーバーはノースハリウッドと呼ばれる映画の街。アルバイトや英語の勉強をしながら、演技クラスに通ったり、学生の短編映画に出たりしていました。その中で、多種多様な人々とモノづくりをする経験や感覚を養えたと思います。何年かして、日本にいながらハリウッドのオーディションに参加できるシステムが整ってきていることに気付き、25歳で帰国。日本でも3年間、ハリウッドにのっとった演技を教えるUPSアカデミーで、リアリズムとは何かを学び、舞台にも出演して、改めて演技の勉強をし直しました」
卒業後の2014年にはフジテレビ「命ある限り戦え、そして生き抜くんだ」でドラマデビュー。以降は日本映画を中心に出演作を重ね、仮面ライダーアマゾンシリーズに出演するなど、俳優として軌道に乗っていった。
アウェーのハリウッドでは、「ブロッキングの一発目で全てが決まる」
順調にキャリアを重ねてきた田邊さんだったが、2017年に当時の所属事務所を退社してフリーランスの俳優となった。この頃、田邊さんは俳優としての迷いが生じていた。
「漠然とですが、俳優には向いていないのではないかと迷っていた時期があり、芝居を一度辞めようと思ったんです。何か別のことをやろうと。それで友人とライブ活動をしていました。そんなときに映画出演のオファーをいくつかいただき、『あ、まだ続けろってことなのかな』と自問自答したのを覚えています。実際、奈良で映画の撮影に参加してみて、やっぱりライブ活動よりしっくりくる居場所で、改めて芝居がおもしろいなと思えたんです」
一度は俳優を辞めようとまで思った田邊さんが奈良から戻ると、ある連絡が待っていた。ハリウッド映画「The Terror: Infamy」からのオーディションの案内だった。それまでもハリウッドのオーディションを受けていたため、案内が届くのはいつものことだったが、自然と特別な思いがこみあげた。
「芝居を続けようと思った1発目のオーディションだったので、本気でやってやろうと思いました。これで落ちたらもう才能はない、それくらいの覚悟で挑みました。オーディション当日は無我夢中で、どういう芝居をしたか覚えていません。でも自分としては思いっきり挑んだから落ちてもいいや、それくらいの清々しい気持ちでした」
オーディションの後は台湾に1ヶ月滞在し、ハリウッドからの吉報を待った。結果は、合格。田邊さんは、フリーランスの裸一貫で掴んだ切符を見事、物にしたのだ。その夜は、台湾のアパートの一室で合格メールを見た後、一人ビールで祝杯をあげた。台湾を後にして、向かったハリウッドではギアを上げて体当たりで挑んだ。
「ハリウッド作品の現場の空気感はNetflix『アウトサイダー』の経験があったのでイメージは出来ていました。演技は全て自由なんです。自由って怖くて、ありとあらゆる準備が必要です。まして日本でも有名じゃない俳優だから、とにかくアウェー。ブロッキング(ドライ)の一発目ですべてが決まると思って、共演する俳優だけじゃなく、全スタッフに向けて、存在を示すように思いっきり演技しました。結果的にエネルギーが伝わったのか、受け入れてくれた感覚を持てたので、スムーズに撮影に臨めました」
※ブロッキングとは:一つひとつの撮影場面毎にリハーサルを行い、演出・技術の細部の調整・修正を行うこと。
出演した映画のプロデューサーからも高い評価を受け、それが次の作品につながり、現在に至るまでハリウッドと日本での活動を両立している。また、「The Terror: Infamy」に合格したタイミングで、現在の事務所への所属も決まり、日本での活動もスムーズになった。NHKの大河ドラマや連続テレビ小説、民放の連続ドラマにも立て続けに出演が決定。現在の活躍につながっている。
「俳優としての役割」
田邊和也をとおして“生きた人間”を演じたい
どんな作品でも田邊さんが登場すると、見た人を惹きつけ、忘れられない印象を残している。役作りをするときはどのようにして、つくり上げているのだろうか?
「その役柄の、“目の奥”をつくるようにしています。人それぞれ目の奥にある色や考えが違う。普段から“この人は、なぜこんな目をしているのだろう”と人間観察することもあります。アプローチはさまざまで、例えば『TOKYO VICE』の矢吹は、怒鳴らずに静かに話していても怖い役柄。僕のなかでの怖い目は、真っ直ぐな眼差し、または、真っ黒な目。矢吹は後者。どうやって黒い目をつくるかを考えた末、矢吹の場合は能面を意識しました。能面には表情のない怖さ、動かない怖さがあります。そういうものから着想を得ることもあります」
絵画に親しみ、普段からアートギャラリーに出かける田邊さんらしいインスピレーション。外からのアプローチで役柄の見た目をつくり込む一方で、その役柄の内面からも役作りに独自のアプローチをしている。
「まず、その役がどういう人生を過ごしてきたかを考えます。幼少期の環境、人との距離感など。特に、その役の短所や欠点を探すようにしています。それこそが個性だと思っているからです。これはネガティブに聞こえるかもしれないですが、実は僕、自分という人間をそんなに好きじゃないんです。役作りをするうえでもあえて、役そのものを好きにならないようにしています。そのほうが、物事の深い部分を客観的に見えるようになると思っているからです」
自身も役柄も嫌な部分まで客観的に捉えることで、本当のその人らしさが分かる。人間くさいところまであぶり出せるのだろう。俳優という仕事自体をどう捉えているのかも聞いた。
「役者ってスポーツみたいに勝ち負けや打率で評価が決まるものじゃない。観てくださる方が良いと感じたものは”評価が良い”という定義だと捉えています。だとすると、練習した分、努力した分の結果が芝居に表れるだけでなく、やっぱりその人の生きざまが出てくると思っています。それに、監督が求めるものに応えなきゃいけないし、自分の芝居がその役にはまらないと、俳優としての役割を果たせない。テーマを与えられて演じるということは、観てくださる方の視点でも、監督の視点でも、さまざまな角度から役をつくりあげなければいけないと思っています。そのために、今でも絵を描いたり写真を撮ったり、一人旅するなど、様々な物事に触れ、経験を積み、広い視野を持つことを意識して日々過ごしています」
役者と生身の自身を両立するためにバランスをとっている。しかし、役には結果的に生きざまが出るからこそ、感覚は磨いておきたい。田邊さんが全てを俯瞰で見ている様子は、Twitterのつぶやきにも表れている。2022年9月の投稿には、こんなつぶやきがあった。
――光の俳優ばっかじゃね。影の俳優もいなきゃね。
「漠然と頭にあった言葉で、夜のつぶやきです(笑)。抽象的な話になってしまいますが、人ってそれぞれに光と影の要素を持っている。常に光ってる人なんていませんよね。個人的には人の影の部分を知ることで、よりその人に対しての興味が湧くことが多い。なので、芝居もその両方の面を感じてもらうことが大切だと思うんです。僕は器用なタイプではないので、自分らしく人間味溢れる俳優でいたいと思いますね」
今こそが自分のターニングポイント
「点と点を、線で結ぶ作業」
これまでを振り返り、俳優としてのターニングポイントは、ハリウッドに進出した2018年だと言う田邊さん。俳優としてだけでないターニングポイントがあるとしたら、2022年の今だと言い切る。9月29日に公開されたばかりのZARA ORIGINSのショートフィルムに、主演として参加したこともターニングポイントを語るうえで外せないだろう。
今回は、アパレルブランドのコンセプトムービーの主演。俳優だけでなくモデルの側面も必要とされる。一人の男が、大切なものを探すストーリー。
「今作の台本は、映画「シングルマン」の脚本家、デヴィッド・スケアス氏の書き下ろしです。監督のナチョ・トラ氏(ZARAのクリエイティブ・ディレクター)が、コレクションの魅力や映像美を引き出し、サンティアゴ・ルッファ氏(スペインの映画監督)が、演出をサポートする、バランスの取れた素晴らしいチームの中で、試行錯誤しながら撮影に臨みました。全編フィルムカメラ(Kodak 35mm)で撮影しています。何か感じて、想像してもらえるような余白のあるストーリーと、フィルムカメラならではの映像美、秋の東京、淡い空気を感じながら見ていただきたいです。この作品の話が来る前からファッションモデルの仕事にも興味がありました。人間の温かみや人間臭さが見えるモデルさんってかっこいいなと。洋服を魅せるという仕事はまだ経験が浅いですが、役者としての僕のオリジナリティが出た作品だったと感じました。ファッションモデルの仕事は、またチャンスをいただけるならこれからも挑戦していきたいですね」
今回の仕事は、新しいジャンルへの挑戦をしたい表れだった。俳優の仕事についても、こんなTwitterのつぶやきがあった。
――そろそろ散りばめて来た点と点を、線で結び始める作業に切り替える歳だな。さて。
「これまで自分をつくらず、自身の演技論を固めることから距離を置いてきました。でも、37歳まで視野を広げながらやってきて、アメリカでも日本でも種を撒いてきたものが芽を出して、ようやく自分が形づくられてきた。役者として成長しながら、そろそろ突き抜けなきゃいけない、そう思っています」
一方で、続けてきた絵画や写真、音楽でも自分を出していきたいと話す。
「俳優としての道を歩む中で、創作活動も続けてやっていきたいですね。そして、チャンスがあれば、自分が手掛けた絵画や写真を展示する個展を開いてみたり、ゆくゆくは映画監督にも挑戦してみたりと、経験のないことでも臆せず挑戦する気持ちで、これからも感性を磨き続けていきたいです」
すべてを意欲的に。しかし過剰につくり込むことはせず、個人として感性を磨くことはやめない。これまで俳優としてつくり上げてきた田邊和也という人間を、まっすぐに伝えていきたい、そんな思いが見えてきた。インタビューの最後には、「歳をとるってワクワクすることなんで」と、自身に期待する言葉も聞けた。
【BS -TBS「サワコ〜それは、果てなき復讐」】
https://bs.tbs.co.jp/sawako/
記者・槙原一臣役で出演。
【ZARA ORIGINS】
HP movie
https://www.zara.com/jp/ja/origins-movie-mkt4660.html?v1=2112875
HP Photo
https://www.zara.com/jp/ja/origins-editorial-mkt4676.html?v1=2112872