脳外科医×ファッションデザイナー
コンプレックスを原動力に、二足の草鞋を履くDr.まあやの生き方
撮影:森カズシゲ
「一人で生きていく術を身につける」
コンプレックスから医師を志す
医師とファッションデザイナー。異色の二足の草鞋を履く、Dr.まあやさんの日常は慌ただしい。平日は東京都小平市にある脳神経外科の専門クリニックで診療にあたり、週末は北海道で過ごす。釧路の病院で患者を診るためだ。月曜朝のフライトで再び東京に戻り、羽田空港に降り立つと、そのまま小平のクリニックに直行。また一週間が始まる。その合間を縫うように、巣鴨のアトリエで創作に励んでいる。自宅に帰る暇もない分刻みのスケジュールにまず驚くが、彼女は「大学病院に勤務していたときはもっと過酷でしたよ」と笑った。
「毎日、1時間おきに病棟から電話がかかってくる生活でした。24時間365日、ほぼ休みなし。友達の結婚式に出席したときも、5分で病院に呼び戻されました。病棟にいる全ての患者さんの病状を把握し、看護師さんに投薬や治療の指示を出す必要があり、明日は生きているのだろうかと不安がよぎるほど、睡眠時間を削ったギリギリの生活を送っていました」
ただ、子どもの頃から目指していた憧れの職業で、充実感がまさっていたという。医師を志したきっかけは、祖母からのこんな言葉だった。
『お前は何やってもダメだし、ブサイクだから、一人で生きていく術を身につけなさい』
辛辣な言葉の裏には、社会で生き抜くことの厳しさを知る祖母の思いがにじんでいた。
「確かに自分には、他人が羨む美貌もなければ、特別な個性ももっていない。中学生になると、クラスでの自分の立ち位置も見えてきて、祖母の言うように医師を目指さなきゃと決意しました」
そして、猛勉強の末、岩手医科大学に合格。念願の脳外科医に就いた。しかし、診療の合間に行っていた大学院での研究を機に、思わぬかたちで人生の転機が訪れたのだ。
失意のなか、突然湧いてきた
ファッションデザイナーへの夢
「研究経過を見た教授から『今まで何をやっていたんだ!』と、ある日、こっぴどく怒られてしまいました。脳外科医としてステップアップする未来が消えたように思え、とてもショックでした。帰りに乗った山手線では何も考えられず、気付いたら電車から降りるのを忘れて、物思いにふけったまま周回していました。そんなとき、ふと一枚のポスターが目に入ったんです」
それは海外の美術系大学への留学を支援する専門学校のオープンキャンパスの広告だった。眺めているうちに、幼い頃に抱いていたもう一つの夢の記憶が蘇ってきたと語る。
「昔からファッションに興味があったことを思い出しました。裁縫をする祖母の影響から、ミシンを扱うのも好きだったので、イチからデザインの勉強をしてみたいという気持ちが、湧き上がってきたんです。それで帰宅後に祖母に相談しました。医学部までの教育費を出してもらっていましたから。でも、『デザインの勉強のためにロンドンに留学しようと思うんだけど、いいですか?』と尋ねると、『自分の人生なんだし、好きなことをすれば』と、怒ることなく許可してくれました」
1年間の専門学校での留学準備を経て、ロンドンの地を踏む。医師からの方向転換だった。
「ただ、30歳を過ぎての海外挑戦は甘くはなかったですね。教科書で知識を得て、実際に患者さんと向き合い、検査や診断、治療を行う脳外科医の仕事と違って、ファッションデザインはゼロから創造するクリエイティブな仕事です。受験勉強なら散々やってきましたが、デッサンを勉強したことはなかったので苦労の連続でした」
脳外科医を捨てて、デザイナーを志す意味が理解できないと突き放す講師もいたという。
「みんな表現が豊かで、ちゃんと絵が描ける人ばかり。しかも、日本での教育とは異なり、他人がつくったものに対して、自分なりの意見をぶつけたり、問題点を指摘する姿勢も求められました。私の人生では、みんなの前で他人を評価する機会なんてなかったので、とても戸惑いました。私は上手く意見することができなかったのですが、もっとこういう作品にしたほうがいいと、10歳以上も年が離れた若者からバンバン指摘される始末。さらに、先生が求めていることが何なのか、自分に足りないものをどのように埋めたらいいのか、どんどん分からなくなり、認められない日々に心が折れる毎日でした」
CT画像で描いた花柄デザイン
皮下脂肪があるほど、美しいデザインに
自分にしかできない表現とは何だろう? 苦悩する日々のなかで、ひと筋の光明が見えたのが、自由なモノづくりが課題のテキスタイルの授業だったと語る。
「テーマが自由だったこともあり、一度、嫌いなものをモチーフにし、それを掘り下げてみようと考えました。私は太った体型にコンプレックスがあり、花柄の洋服がずっと嫌いでした。花はかわいらしさの象徴。私が花柄の洋服を着ると『ブサイクなのに、花柄なんて着てるんじゃねーよ!』と、罵声が飛んでくる気がして、ずっと避けてきたんです。その花柄をデザインに取り入れようと考えたのですが、ふとCTの画像が花びらに見えることに気付きました。しかも、お腹のCT画像は皮下脂肪があるほど、美しくデザインできます。太っているからこそ、できる表現ですし、医師としての人生経験が生きた作品になりました」
加工され、花びらのように配置されたCT画像は、ポップな花柄にも見える。このアイディアを機に彼女は次々とカラフルな作品を発表していく。でも、なぜ、色彩に富んだ作品が多いのか? その理由を尋ねると。
「カラフルなものが好きな理由は、コンプレックスにあります。私のような地味な人間が普通の色の洋服を着ていても、街では目立たず、まるで透明人間になったような気分になります。でも、カラフルな洋服を着ると、それが一変。私の前に人がいても、『モーゼの十戒』のように道が開けていきます。だから、容姿に恵まれていなくても、明るい色や、デザインにこだわれば、存在が認められたような気がして、少し自信をもって世の中に存在できるんです」
異なるベクトルの仕事だからこそ、心のバランスが保てる
そして、帰国後の現在、脳外科医を続けながら、創作活動を行っている。しかし、どうして医師を辞めなかったのだろう?
「脳外科医をしていて痛感したのは、人間の脳は完成されていて、決して元には戻せないということでした。例えば、脳卒中を発症した患者さんに対し、脳外科医が治療を行い、発症の前の健康な状態まで戻してあげることは困難で、機能回復のためというよりも延命処置のために開頭手術を行う、ということがあるんです。つまり100の健康状態から、どれだけマイナスを少なくできるかが勝負です。一方で、モノづくりの仕事は、さら地から100を目指して、自分が理想と考えるものを創造していく作業です。しかも、正解がないし、100を目指しても、自分の理想とする100に達することは難しい。100から減点する脳外科医と、ゼロから積み上げていくファッションデザイナーというまったく異なるベクトルの仕事をすることで、心のバランスが保てると感じています」
創作で行き詰まっても、患者と向き合い、症状を診ていくうちに、頭の中がクリアになっていく。また、患者との対話が重なり、疲弊したら、デッサンを描いてリフレッシュする。二つの仕事をこなすことで、相乗効果によりそれぞれ良い仕事ができると実感しているという。
「一つの仕事を追求するのが得意な人もいれば、いくつかをバランス良く手掛けることのほうが向いている人もいると思うんです。それに脳外科の現場では、残念ながら、亡くなっていく人をたくさん見てきました。麻痺が残ったり、リハビリをしても治らない障害を抱える人もいます。病気や怪我に年齢は関係なく、人間はいつ死ぬかわかりません。だから、瞬間、瞬間を後悔しないように生きていかないといけないって強く思うんです。面白いと思ったことをやる。ただそれだけです」
コンプレックスを原動力にDr.まあやは、今日も病院とアトリエを行き来する。