Documentary
Documentary #Work

イルカショーのお姉さんが歩んできた
目標を“現実”に変える道

2022.02.04
取材・文:有竹亮介(verb)
撮影:森カズシゲ
井上夏菜子 幼い頃から水族館で働くことを目標に掲げ、高校卒業後は海洋系の専門学校に進学。専門学校2年生の時にマクセル アクアパーク品川に就職し、現在に至る。ドルフィントレーナーとして、日々奮闘中。
品川駅から徒歩約2分、都会の中心にある水族館・マクセル アクアパーク品川。その中の円形会場「ザ スタジアム」のステージに、ドルフィントレーナーとして立っているのが井上夏菜子さん。「イルカも、それぞれに表情や個性があるんです」と、うれしそうに語る彼女は、“生物多様性”についても思いを巡らせる。イルカに魅せられた彼女の歩みを追った。

イルカが好きすぎて
図工の時間につくる作品は全部イルカに

幼い頃、生まれ故郷の北海道を離れ、家族で関東に引っ越した井上さん。家のすぐ近くに、水族館があったそう。

イルカが好きすぎて図工の時間につくる作品は全部イルカに

「当時はその水族館の年間パスポートを持っていて、頻繁に遊びに行ってました。そこでイルカのパフォーマンスを見て、『私もあのトレーナーさんみたいに動物と仲良くなりたいな』って思ったんです。イルカが好きすぎて、図工の時間につくる作品は全部イルカ関連のものでした(笑)」

家族や友達から「夏菜子は本当にイルカが好きだよね」と言われるなか、ドルフィントレーナーという目標も公言してきた。しかし、いざ進路を決めるタイミングになると、両親から反対されてしまう。

「『海洋系の専門学校に進みたい』って話したら、『水族館で働けなかったらどうするの』って言われたんです。水族館は狭き門なので、心配してくれたんだと思うのですが、まさか反対されるとは思わなくて驚きましたね。ですが、専門学校に行くメリットを一覧にして見せたり、オープンキャンパスに親を連れていったりして、なんとか説得できました」

ドルフィントレーナー専攻のある専門学校に進学すると、まず指導されたのは、履歴書の書き方。水族館は欠員が出たら求人を出すという特殊な採用形式を取っているところが多く、就職のチャンスがいつ舞い込んでくるかわからない。そのため、自分の強みと目指す道を明確に表現した履歴書を、あらかじめ準備しておく必要があった。

イルカが好きすぎて図工の時間につくる作品は全部イルカに

「漠然と『ドルフィントレーナーになりたい』と目指してきたので、具体的に自分は何をしたいのか、初めて深く考える機会になりました。まず、自分と向き合って出てきた強みは、お客さまが思わず聞きたくなるように解説を工夫できること。水族館ではMCの仕事もあるんですが、人前で話すことに抵抗はなかったので、そこを伸ばしていきたいなと。そして、理想とする姿は『動物の気持ちをきちんと理解できるトレーナー』でした」

この業界は運とタイミング
イルカ目線に立って考える毎日

井上さんは、水族館スタッフデビューを思いがけない形で迎える。専門学校2年生の夏、短期アルバイトの面接で訪れたマクセル アクアパーク品川で、「スタッフを募集しているので、このまま長く働きませんか?」と言われたのだ。

マクセル アクアパーク品川のドルフィンパフォーマンス。季節や時間帯によって変わる、最先端のテクノロジーを用いた演出が特徴。
マクセル アクアパーク品川のドルフィンパフォーマンス。季節や時間帯によって変わる、最先端のテクノロジーを用いた演出が特徴。

「その時は『どのチームに配属するかは未定』と言われましたし、短期アルバイトは魚のタッチプールでの仕事だったので、魚類展示のチームに行く可能性もあったんです。でも、水族館への就職が困難なことは知っていたので、まずは業界に入ることを優先して、お誘いを受けました。先生や先輩からずっと『この業界は運とタイミング』と言われていたんですが、まさにそうだったなって感じますね」

短期アルバイトが就職に直結するとは考えていなかったため、奇跡的な形での採用となった。さらに、ドルフィントレーナーを志していた井上さんの熱意が伝わったのか、イルカを担当するチームへの配属が決まる。

この業界は運とタイミングイルカ目線に立って考える毎日

「ただただびっくりしました。水族館の採用自体が少ないのに、そのうえ希望のチームに入れるなんて。それからは早期就職という形で、学業より仕事を優先する生活が始まって、唐突に社会人になった状態でした。そうはいっても、学校のテストを受けないと卒業単位はもらえなかったので、本当にいろんな人に助けていただきました」

就職してからも勉強の日々だった。まずはイルカたちを見分けられるようになるところから始まり、健康チェックなどの基本的な業務の流れを覚え、絆を深めるために毎日コミュニケーションを図る。すべての業務に真剣に取り組んだ末に、ステージデビューを果たせたものの、お客さんを楽しませるところまでは持っていけなかったという。

この業界は運とタイミングイルカ目線に立って考える毎日

「イルカは賢いので、初心者トレーナーでもある程度は形になるんです。でも、いざステージに立つと、私の前にいるイルカは自由に泳ぎ回ってしまうのに、先輩の前にいるイルカは先輩のことを見てじっと待ってるんですよね。その頃は、言葉が伝わらないってこんなに大変なのかって、悶々としました」

先輩の姿を見ながら学ぶ日々の中、一つの言葉をかけられる。「自分の振る舞いを受けてイルカがどう感じるか、イルカ目線に立って考えなさい」と。

この業界は運とタイミングイルカ目線に立って考える毎日
この業界は運とタイミングイルカ目線に立って考える毎日

「先輩にそう言われて、わかったことがあるんです。自分が混乱していると、イルカも混乱してしまうんだなって。頭の中を整理して、自分がやるべきことを明確にして挑むと、イルカとも意思疎通が取れるんです。自分がするべきことを理解しないまま仕事に臨むって、相手に対して失礼なことなんですよね。今でも自分の思いがイルカに伝わったと感じる瞬間はうれしいし、この仕事を選んで良かったって思います」

ノートと心に書き留めた言葉
「知らないことは罪だ」

水族館での仕事は、華やかなパフォーマンスをすることだけではない。動物たちの命を扱う仕事でもある。

「開館前にごはんを準備したり、掃除をしたりと朝早い仕事ですし、動物に何かあれば残って観察するといったイレギュラーな部分もあります。でも、その一つひとつが生き物たちのために必要な業務なので、苦に感じることはありません。それに、当館のスタッフはシフト制なので、しっかり休日も取れていますよ」

小学生の頃からの目標をつかみ、今でもブレずに仕事に打ち込めている。そんな自分でいるための秘訣があるという。

ノートと心に書き留めた言葉「知らないことは罪だ」

「学生の頃から、自分が感じたことや人に教えてもらったことをノートに書き留めて、読み返す習慣があるんです。そうすることで思い浮かんだことや大事にしたい言葉を忘れてしまうことがなくなるし、頭の中で整理されて、現時点での目標ややるべきことを確認できるんですよね」

これまで書き留めてきた言葉で、特に印象に残っているものがある。専門学校で履歴書の書き方を指導してくれた先生が言っていた、「知らないことは罪だ」という言葉。

「水族館のスタッフは動物の飼育だけでなく、業務や勉強の中から得た知識を正しく理解し、お客さまに正確に伝える仕事でもあります。『知らなかった』では飼育スタッフとして無責任になってしまうので、先生の言葉は今も大事にしています。動物についての理解を深めて発信していきたいですし、知らないことが原因でのミスは避けたいですね」

取材日に、井上さんのパートナーとして活躍していたバンドウイルカのレイニィちゃん。
取材日に、井上さんのパートナーとして活躍していたバンドウイルカのレイニィちゃん。

人の社会にも存在している
“生物多様性”という輪

学生時代から動物の生態について学んできた井上さんにとって、身近なキーワードの一つが“生物多様性”。この概念は野生動物や植物の世界だけに当てはまるものではなく、人間の社会でも同じことがいえると感じているそう。

「地球上のさまざまな環境の中にいろんな生物がいて、その全てがつながっていて、どこかが欠けるとバランスが崩れてしまいます。私たちが生活している社会、もっと小さな枠組みの職場も同じだと思っていて、一人だけで成立する仕事ってないんですよね。どの業種の人がいなくなっても、きっと困る人が出てくるんじゃないかなって。だから、互いに尊重し合うことや、個々に持ってる力を伸ばすことって大事だと思うんです」

各々の専門性やスキル、個性を伸ばしていくことが、その会社のパワーアップにつながり、社会全体の成長につながっていくのだろう。

人の社会にも存在している“生物多様性”という輪

「私の個性は、やっぱり伝える力でしょうか。動物と接する中で受け取った情報をお客さまに発信することで、海の世界に興味をもってもらい、生き物が生息する環境の問題について考えてもらうきっかけをつくっていけたらって考えています。とはいっても、水族館はレジャー目的や癒しを求めて訪れる方が多いと思います。“楽しい”を入口とした情報はより伝わりやすいと思うので、ユーモアを織り込み、思わず聞き入ってしまうようなMCや解説の内容を、日々動物たちと一緒に試行錯誤しています」

いちスタッフとして情報発信の方法を模索するとともに、水族館という場所の存在意義にも、新たな要素を加えていきたい。

「“水族館の在り方”を見つめ直し、その目的を明確にして、スタッフみんなで同じ方向を向いていきたいですね。私が考える水族館の意義は、海や動物に関する正しい知識や新たな発見を持ち帰って、環境のことに目を向けるきっかけとなる場所であること。まずは水族館に来て海の世界に興味をもっていただき、その関心が行動につながるような施設にしていけたら、最高だなって思います」

人の社会にも存在している“生物多様性”という輪
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