障害に対し「助けてあげる」という言葉に違和感
福祉とファッションの融合で、中塚美佑が目指す未来
撮影:有泉伸一郎(SPUTNIK)
小学生のときの悔しい思いをそのままにできなかった
中塚美佑さんの兄は、幼少期に知的障害の伴う自閉症という診断を受けた。純粋で優しく、嫌なことがあってもため込んでしまうような大人しい性格、趣味は電車に乗ることとトレーニング。そんな兄と中塚さんは、大人になるまでずっと一緒に過ごしてきた。
「今は、広汎性発達障害だとか診断名は少し変化しているのですが、毎日の生活パターンはここ数年変わることなく、本人の強いこだわりで決められたルーティンに沿って、日々を過ごしている感じです。例えば、18歳の頃から障害者雇用枠として地元のスーパーで働いているのですが、朝8時に家を出て、16時37分に家に帰って、というぐらいきっちりしていて。決まったパターンで動くと、本人は安心するんでしょうね」
今でこそこう話すが、障害があるからといって、家庭の中で兄を特別視することはなかったという。
「子ども心に、兄がすごく手をかけられているな、と感じたこともあるんですけど、家事や家のお手伝いも同じことをやらされていたし、二人とも平等に厳しく育てられたし、兄が変わっているという認識が私の中にはありませんでした」
兄と同じ小学校に入学したことで、学校に入ってからも兄が近くにいるという生活は変わることがなかった。しかし、あることをきっかけに、中塚さんの心境にも変化が起きる。
「兄は障害のある生徒を対象とした特別支援学級にいたのですが、本来、学校生活の中で特別支援学級の子と交わる機会はほぼありません。でも、私はよく友だちや先輩を支援学級の催しや教室に誘っていました。支援学級の学園祭は面白かったし、私にとっていい意味で兄は特別な存在だったので、純粋に会ってもらいたかったんです。ところが小学校4、5年生の時に、兄がいじめられている姿を見てしまい……とてもショックを受けました。そこで初めて、兄が他の人とは違う目で見られていることを意識するようになったんです」
その後、中塚さんが福祉学科のある大学に進学したのも、当時の体験が大きく影響している。
「大学進学という岐路に立って、私は何をしたいんだろう、何を学びたいんだろうと考えたときに、誰に言われるでもなく、自然と福祉という選択肢が頭に浮かびました。実は他にも料理とかファッションとかやりたいことはあったんですけど、たぶんこの先もずっと兄のことは考えていくんだろうなとか、子どもの頃の悔しい思いをこのまま消化できずに過ごすのは嫌だなとか、そんな思いもあったのかもしれません」
「助けてあげる」という視点への違和感
小学校の頃に芽生えた「悔しさ」は、やがて「反骨心」へと変わっていく。福祉学科に進学した学生の多くは、将来福祉施設の職員として働くために、国家資格である「社会福祉士」の取得を目指して勉強をしている。中塚さんもその道を目指したが、ある理由から資格取得の勉強を止めたそう。
「ゼミのディスカッションで、周りの子たちと障害に対する捉え方が違うなと気づいたんです。『障害のある方は立場が弱く、助けてあげなければいけない存在』。実際にそのように教科書でも教えているわけですけど、兄は私の中で助けてあげる対象ではなかったので、これにすごく違和感を覚えてしまって。今考えると若々しい選択だったなと思いますけど、このまま国家資格を目指すのではなく、もっと違う世界を見てみたいと思ったんです」
中塚さんが新しく選んだテーマは「ファッション」だった。大学に入ってから友だちに教えてもらって古着の楽しさに目覚めていったという中塚さん。ファッションへの興味を深めていった結果、大学の卒論も「福祉×ファッション」を扱ったユニークな内容になった。
「障害のある方がつくったプロダクトのことを、福祉業界では自主製品と呼んでいるのですが、療育センターや作業所のバザーに行くとたくさんの小物や食品が販売されています。私も幼少期から療育センターにはよく通っていたので身近な存在ではあるのですが、多くの自主製品はデザイン性も皆無だし、価格が安い。せっかくつくったのにプロのディレクションが入っていないばかりに、どうしても商流に乗っていかないという点に学生ながら課題を感じていました。同じようなことを考えている人たちはいないかとネットで検索していたところ、ヘラルボニーの前身である『MUKU』にたどりつきました」
障害のある作家のアート作品を、ネクタイや傘などのプロダクトに落とし込んで販売をしている「MUKU」は、中塚さんにとってまさに自身で考えていたことを具現化している理想のブランドだった。卒論の題材とするため、さっそく現・株式会社ヘラルボニー代表取締役社長の松田崇弥(たかや)さんにアポイントをとり、インタビューを実施。それが中塚さんとヘラルボニーの最初の接点となった。
福祉という業界を違う視点から見たいと思った
大学で4年間、福祉について学んだ中塚さん。しかし就職先として選んだのは、株式会社トゥモローランドという異業界。
「(卒論の執筆やMUKUとの出合いを通じて)福祉という業界を違う視点から見る必要があるなと直感的に思ったんです。アパレル業界を選んだ理由は、単にファッションに興味があったのはもちろん、福祉とファッションを何かしらの形でドッキングさせることができるんじゃないかと考えたからでした。そういえば最近、前職の人事の方とお話をする機会があったのですが、ファッション業界の面接なのに、私が福祉の話ばかりしていたので、『この子はファッションが好きというだけでなく、その先も見据えているんだなということが伝わってきた』と言っていただけました(笑)」
障害のある人が関わったプロダクトが消費者に届くことで、二者をつなぐきっかけになるのではないか。その一つの切り口として「ファッション」を選んだ中塚さんは、入社後に販売員のほか、ショッププレスの仕事も担当。その後のキャリアにもつながる、小売やPRの基礎を現場で学んだ。充実した日々を送っていたが、勤務して3年ほど経った頃、MUKUが株式会社ヘラルボニーとして会社になったことを知る。
「トゥモローランドも楽しくてやりがいがあったんですけど、ヘラルボニーが法人化したというのを聞き、世間で注目を集めてはいるけど、実際のところ『会社の内情はどうなっているんだろう』、『どういう未来を見据えているんだろう』というのが気になり、久しぶりにアポイントをとってみたんです。それで、崇弥(代表取締役社長)と食事をすることになったのですが、あちらは私を入社させるつもりで来ていたみたいで(笑)。『一緒に働きませんか』とお声がけいただきました。私自身、福祉で何かやってみたいという気持ちが再燃していた時期だったので、入社を決めました」
2020年、ヘラルボニーにプレスとして入社した中塚さんの主な仕事は、テレビや新聞といった媒体とのやり取りや、ソーシャルメディアでの発信。さらに、全国各地に出店しているポップアップストアの管理や運営も担当している。会社のステージが目まぐるしく変化し、規模も拡大していく創業期なだけに、八面六臂の活躍が求められている。
言葉を大事にすることで「見え方」を変えていきたい
中塚さんに仕事の話を聞くなかで印象的だったのは、ヘラルボニーの「言葉を大事にする」という姿勢。
「メディアの方に記事を書いていただく上で、表記の統一をお願いしています。例えば、よく『障害を持つ』という表現が使われることがありますが、障害は当人の自発的な意思によるものではありません。そのような理由から私たちは『障害のある』という言い方をお願いしています。また、「障害」という漢字の表記についても、『害』という漢字をあえて用いて表現しています。それは、社会側に障害物があるという考え方に基づいているためです。言葉によって誤解を生んでしまったりと、伝え方によって捉え方変わったりすることは多々ありますので、会社として言葉にはかなり気をつかっています」
このことは、企業としてのスタンスの表明にもつながっている。例えば、ヘラルボニーでは、支援やサポートというニュアンスが出ないよう、事業を説明する文章には「社会貢献活動」などではなく「ビジネス」といった表現を求めている。そこには、強い立場の者が、弱い立場の者を助けるという上下関係を否定し、あくまで作家と対等な関係性にあろうという考えが現れている。
「言葉を選ぶことで、障害のある作家さんの見え方を変えていきたい」と語る中塚さん。それはヘラルボニーのプレスとしての言葉でもあり、幼い頃からお兄さんと接する上で社会に対する違和感を募らせてきた中塚さん自身の、思いがこもった言葉でもあるように感じる。
「現在、ヘラルボニーでは、自社ブランドの『HERALBONY』をファッションからライフスタイルブランドへと拡張する展開を行っています。それによっていままで以上に、障害のある作家さんのアートがプロダクトとして生活の中に浸透していくことが期待できますし、ヘラルボニーが障害のある人との接点になってくれればいいなと思っています。世代を超えて私たちの考えに対する共感の輪が広がっていくことで、障害に対して違和感を感じることのない、優しいセカイになればいいですね」