昭和にビビッときた
阪田マリンの自分らしい生き方“ネオ昭和”
撮影:有泉伸一郎(SPUTNIK)
撮影協力:喫茶宝石箱
レコードをきっかけに昭和カルチャーにハマる
阪田マリンさんは、2000年生まれのZ世代。ニュージェネレーションである彼女が中学2年でビビッときたものは、意外にも“昭和”だった。
「ある日、おばあちゃんの家に行ったとき、レコードプレーヤーがあったんです。CDしか知らなかった私は、『これ、何なん? どうやって音楽を聴くの?』と聞いたら、『針を落として聴くんだよ』と教わりました。そこで初めてレコードの存在を知って、実際にお父さんが聴いていたチェッカーズの『SONG FOR U.S.A.』を流してみて、感動したんです。なんせ、針1本で音が流れ出す。それがすごいと思いました。そこからレコードを集めようと、日本橋に通い始めました」
大阪・日本橋は電気街であり、中古レコードショップが多く立ち並ぶエリア。100円、200円でも購入できるため、お小遣いをもらっては買い集め、約300枚収集したという。阪田さんの昭和への興味は音楽にとどまらなかった。
「音楽にハマったあとは、角川映画が好きになりました。『セーラー服と機関銃』『スローなブギにしてくれ』『2代目はクリスチャン』……。そこから薬師丸ひろ子さんや浅野温子さんの衣装に興味が出て、ファッションを真似するようになりました。そういう服はもう売っていないので、おばあちゃんやお母さんに頼んで、『当時着ていた服が欲しい』と言ってはびっくりされました(笑)」
音楽、映画、ファッションとコンテンツを変えながら、昭和に没頭した思春期を経て、高校2年になると、昭和好きを公表するようになっていく。
「高校2年になると、私服だけじゃなくて制服もレトロにしたいと思っていました。当時、『ビーバップハイスクール』『湘南爆走族』『シャコタンブギ』を観た影響で、昭和のヤンキーにハマっていたんです。高校は私立で校則が厳しかったので、ミニスカートは禁止。でも三原順子さんみたいな超ロングならいけるんちゃうかと。制服のスカートを2枚縫い合わせて登校したら、生活指導に『あかん』と言われて体操服に着替えさせられました。でも、気分は昭和のヤンキーだったので、一度は『おかしい』と言い返しましたよ。みんなに昭和好きを知らしめようとしたのに、失敗しましたね」
しかし、制服は無理でも学校の友達には昭和好きをアピール。そして高校3年になると、昭和に限定したTwitterアカウントを開設する。
「初めは共通の趣味をもった同年代の子とつながりたいのがきっかけでした。言ってみれば、昭和好きを共有するためだけのものでした。でも、発信していくうちにフォロワーさんも増えていって、気づけば1.5万人になっていました。大きくバズったのは、2020年春のコロナ自粛の期間。昭和アイドルの衣装を着て、家で歌っている動画をアップして『自粛中は唯一昭和アイドルになりきるのが楽しみ笑』と投稿したら190万回再生されて、一気にフォロワーも3万人近くまで増えました」
こうして、一躍インフルエンサーとなった阪田さん。いまや、Twitterフォロワー 5.6万人、Instagramフォロワー2.3万人を抱える発信者となっている。
“ネオ昭和“ブームを誕生させた高校3年生
高校生の頃まで、昭和そのもののカルチャーを真似していた阪田さん。しかし、3年前から少し切り口を変えて発信するようになる。それがいま世間をにぎわせブームになっている“ネオ昭和”誕生のきっかけだった。
「高校2年生までは、昭和に憧れてそのまんまのモノマネをしていました。でも、それだけで同世代の子に魅力として伝わるんかな、と疑問に思ったんです。昭和っていいんだよ、というのを同じ世代にも知ってほしい。それで現代の流行りを取り入れながら昭和を身にまとったら共感してもらえるんじゃないかと思いついたんです。それを、“ネオ昭和”と名付けました。ネーミングは、映画『AKIRA』に出てくる都市の名前“ネオ東京”から発想しています」
2017年から2018年にかけては、一般的にもレトロ昭和がブームだった。大阪府の高校ダンス部がバブリーダンスを踊っていたのが象徴的だろう。これを懐古的なブームだけで終わらせず、若い世代にも良さをアピールするため、“ネオ昭和”と名付けた人こそ阪田さんなのだ。さっそくSNSでネオ昭和を発信しはじめた。
「ネオ昭和の投稿ルールは、全部が昭和というのをやめること。新しいものをまじえつつ、昭和を発信するようにして、モノマネだったのを自分のスタイルにしたんです。例えば、服装はバブルスーツだけど、化粧は今どきメイクをしたり、靴だけドクターマーチンを履いてみたり。普段、大学に通うときもバブルスーツやボディコンに今どきメイクですね。すると、同世代だけじゃなくて、年配の方のフォロワーさんも増えていったんです」
阪田さんが発信したネオ昭和は、2020年頃から少しずつ注目されはじめ、今ではシティポップがアジアやアメリカにまで飛び火して人気になったり、ネオ昭和な純喫茶や居酒屋が街にできたり、フィルムカメラが再び脚光を浴びたりしている。なぜ、ネオ昭和が若い世代の心をつかんでいるのだろうか?
「例えば、旅行にフィルムカメラを持っていったら、撮影するときも楽しめるし、どう写っているかわからないので、現像するまでも楽しめる。携帯電話のカメラと違って、フィルムカメラは二度の楽しみがあるんです。今の時代は、便利なものがたくさんある。スマートフォンで、好きな人の声を聞けたりビデオ通話だってすぐできる。そうじゃなくて、不便なものに惹かれる。逆に今が便利すぎて、ないものねだりかもしれないですね。そういう時代のもどかしさがあってもいいのかな。平成生まれで昭和を生きてなかった人にとっては、新鮮に映るんだと思います」
阪田さん自身が強く惹かれているのは、昭和の女性アイドルの姿だという。
「松田聖子ちゃんや中森明菜ちゃんに代表される昭和のアイドルは、強いんです。大勢ではなく、1人でステージに立って、歌唱力もあって、曲によって表情もしぐさもすべて変わる。聖子ちゃんはぶりっ子のようで肝が据わっているし、明菜ちゃんは曲によって表情が女優のように変わる。自立したアイドルという感じでその生き方が好きですね。一番すごいなと思うのは、山口百恵ちゃん。一番、売れてるときに引退する選択をして、マイクを置いた。そういう女性としてのかっこいい生き様が好きですね」
阪田さんにとって昭和は、カルチャーやエンターテインメントを超えて、生きるうえでのお手本になっているようだ。
好きなことを貫くことで得た強さ
ネオ昭和ブームの牽引役として発信する存在にまでなった阪田さんだが、実は中学2年から高校1年までは、昭和好きを周りに隠していた。
「1人だけ浮いたことをするのは、どうなんだろうと思っていました。みんなでカラオケに行くときも、本当は演歌や昭和の歌謡曲が歌いたかったのに、みんなが歌っている流行りの歌を歌っていました。でも、高校2年生になるとき、友達もできていたので、思い切って好きなことをさらけだそうと思ったんです。受け入れてくれなかったら、ほんまの友達じゃないと思ったので。それで制服を昭和のヤンキーみたいに長くして登校したんです。その日は失敗しましたけど、友達は受け入れてくれて、むしろ『マリン、おもろいわー』と言ってくれました」
当時の阪田さんは、ハマる力をとおして昭和のヤンキーやアイドルの魂を自身にも宿して強くなっていたのだ。友達にも理解を得られたことで、どのように変わっていったのだろう?
「そこからずっと誰になんと言われようが、昭和好きを貫いています。高校は、コースによって教室棟が分かれていたので、普段接することがない子と食堂の廊下ですれ違うことがあるんです。そのときに『あれが昭和オタクの変わった子やで』と聞こえるように陰口を言われたこともあります。そのときは腹が立ったけど、もう自分を隠すようなことはしなかった。大学生になってもそのスタイルを貫いていたら、フォロワーが1万人を超えていた。高校時代に廊下で陰口を言われた子から手のひらを返したように、『マリンちゃん、すごい!』とDMが届きました。好きなことを貫いていたら、こういうことがあるんやなと思いましたね」
現在の阪田さんに昭和好きを隠していた頃の面影はない。むしろ、好きなことを貫く姿に多くの人が励まされている。
「私は自分の好きをさらけだしたことで、共感してくれる人も増えて、同世代だけじゃなく、いろんな世代の支持を集めています。最近、ファンの方からとてもうれしいDMが届きました。『私も昭和が好きでしたが、恥ずかしくて隠している自分がいました。でも、マリンさんの投稿を見ていたらさらけだしてみようと思いました』。過去の私を見ているようで、うれしかったですね。今の私は、昭和を身にまとっていないと、100%の力を出されへん(笑)。自分を出すには、自分の着たい服を着て好きなことをやることが大事だと思います。好きなことは好きだといえるほうが人生は楽しくなる。自分らしく、そのままを貫いてほしいですね」
自分を偽らないほうが人生は楽しい
阪田さんにはネオ昭和を発信する以外に、大学生として将来を模索する姿もある。将来の夢は、ラジオのパーソナリティだ。
「高校3年間、ガソリンスタンドでアルバイトをしていました。そこで流れていたのが、ラジオ。そんなに忙しい店でもなかったので、ラジオを聴いている時間が長くて、次第におもしろいなと思ったんです。音だけなので、テレビよりも想像が広がって、情景が浮かんでくる。将来はラジオパーソナリティになりたいと思いました。現在は、アナウンス技術が学べる放送学科のある大阪芸術大学に通っています」
大学にはアナウンス実習ができる環境があり、技術を学ぶことができるそうだ。しかし、ネオ昭和という武器をもったことで、ひと足早く夢を掴もうとしている。
「今年から月に2回ほど、ラジオ関西で『マリンの気になるネオ昭和』という番組を持っています。ラジオパーソナリティになる前から有名になりたいとは思っていて、SNSアカウントを本名にしたのもそれが理由です。でも、もちろん当時は何者でもありません。そのうちネオ昭和を発信することで、個性を持てて、メディアの取材も増えて、それがきっかけで番組を持てました。大学を卒業したら、本格的にラジオパーソナリティになりたいですし、番組もたくさんもちたい。そのなかで、ネオ昭和も発信していけたらいいですね」
現在の阪田さんの活躍からすれば、タレントになる道もありそうだが、マルチに活躍することに興味はないそう。それよりも、「人生一回きり、自分のやりたいことだけをしたい」と言う。そう考える裏には、こんな信念があると聞かせてくれた。
「私が一番大切にしていることは、自分をいつわらないことです。もし、高校1年生までのように自分をいつわっていたら、今の私はありません。同世代のみんなを見ていると、周りにどう思われるか、人目を気にしすぎているように思います。でも、そんなのはいらないんです。ほんまの自分をさらけ出したら、自然と友達もついてくるし、仕事ももらえるようになる。好きなことに没頭したほうが人生は楽しいし、夢も叶う。私と一緒に、自分の思ったように真っ直ぐ生きていきましょう!」
1つのことに熱中したことで、強さと個性を手に入れた阪田さん。好きなことにハマることは、人生を楽しくたくましく切り拓く力になることを教えてくれた。