「死ぬくらいなら、整形してみるか」。
そう決断した“見るな”という名のファッションデザイナー
撮影:荒 眞人
ファッションはリアルにしか存在しないから、実店舗が必要だった
もともと、小さな頃から工作が好きで、中学生になった頃には趣味で人形をつくるようになったというmillnaさん。なんの気なしに、SNSで自身の作品を発表し始めたところ、「多くの人に見てもらえるようになった」のだという。
その後、美術サークルの先輩に“デザインフェスタ”(オリジナル作品であれば、プロ・アマチュア問わずに出展できる大規模なアートイベント)に誘われ、出展することを決めた。
「その頃はファッションデザイナーになりたいとか人形作家になりたいとかは思っていなくて、あくまで趣味だったんです。でも、出展してみたら、なんとフォロワーさんが買いに来てくれて……。作品を見てくれる人だけではなく、わざわざ買いに来てくれる人がいるんだって、そこで初めて知って、すごくびっくりしたんです。思えば、それが始まり。買ってくれる人がいるならもっといろいろつくりたいと思うようになって、今に至ります」
その後、本格的にファッションデザイナーや人形作家として活動を開始し、2021年9月、実店舗“タマリバブティック カワイイカルト”をオープン。インターネットで手軽に物が売れる時代に、あえて実店舗を持った理由として、millnaさんはこう語る。
「実際に会って話さなくとも、インターネットでゆるく“繋がったような気になる”時代になっていくなかで、私は『いや、会わなきゃダメでしょう』と思うんです。お客さんと直接会って話したり、リアルに触れてみてはじめて、ファッションは存在すると考えています。だから、“その場所はいつでもここにある”という意味で実店舗を持ちたかったんです」
女が勝手なことをしたら、地獄に落ちると思っていた
従来の価値観にとらわれない思考を発信しているmillnaさんだが、23歳まで「女とは、いい大学を出ていい会社に勤め、いずれは結婚して子を産むことが幸福である」という価値観を持っていたというから驚きだ。今とは真逆ともいえる価値観は、どう覆されたのだろうか。
「理由は二つあります。まず、就活に失敗したことで、強制的にそのルートから外れざるを得なかったこと。もうひとつは、ピアスをあけたことです。それまでの私の価値観だと、女が勝手に自分の意思で、親からもらった大事な体に穴を開けるなんてとんでもないことだったんです。そんなことしたら地獄に落ちるんじゃないか、とまで思っていました。でも、いざあけてみたら、地獄には落ちなかった。そのとき、『私の体、私の人生って、私のものなんだ』とはじめて実感して、価値観がガラリと変わりました」
美しくない自分のことを、愛せなかった
価値観が一変し、“自分にとっての幸福とは何か”を改めて考えはじめたmillnaさんは、「自分の顔を美しいと感じられること」が自身にとっての幸福だという結論にいたった。しかし、millnaさんにとって、当時の自分の顔はコンプレックスだらけで、とても“美しい”とは思えなかったのだという。
「学生時代から、『自分は可愛くないから、可愛い服を着てはいけないんだ』という感覚があったんです。当時からロリータ服が大好きでしたが、家で着るだけで、外には着ていけなかった。メイクでどうにかしようともしましたが、メイクが完璧に終わっても、理想の自分とは程遠くてがっかり。自分のことがどんどん嫌いになってしまったんです」
整形をするか、死ぬか。未来はその2択だった
millnaさんが特に気にしていた部位は、蒙古ひだの張った一重まぶた。現在は一重まぶたを活かすメイク特集が増えたり、否定的な価値観も少なくなってきているように感じるが、「当時は二重であることが美の大前提で、私もそれにとらわれていた」のだという。
「当時読んでいたファッション雑誌に『大事なのはルックスではなく内面や個性』というようなことが書かれていたんですが、その雑誌に出ているモデルさん、みんな二重まぶただったんです。“詐欺メイクの仕方”みたいな特集ページをみても、二重まぶたの土台からスタート。私のような一重の子はいなかった。それで、『私、スタートラインにも立てていないんだ』とさらに落ち込みました。
もとから美しいものへの執着がありましたから、『美しくなければ生きている意味などない』と考えて、死ぬか、整形するか、どちらかにしようと本気で考えました。そして、『死ぬくらいなら整形してみるか』と。大げさだと思う人もいるかもしれませんが、ファッションというものを愛するなかで、自分の顔がそれに見合わないというのは、私にとってそれほど絶望的なことだったんです」
キャンバスでいう“白地”になれた
その後、目頭切開と二重埋没の施術を受けたmillnaさん。しかし、変わったのは、目元だけではなかった。驚くべきことに、自分の顔が「どうでもよくなった」というのだ。
「私にとって幸福とは、“自分の顔を美しいと感じられること”だと思っていたんですよ。でも、整形したら自分の顔がどうでもよくなっちゃったんです。ものすごくコンプレックスだった一重まぶたと蒙古ひだがなくなって、キャンバスでいえば“白地”になれた。ここからならメイクでどうにでもなるし、ここから手を加えたところで誤差だなって。自分の顔への執着がなくなった瞬間でした」
美しくあることがすべてだったが、それが苦しくもあった。これまで、髪を綺麗に伸ばし、ガリガリに痩せて、“皆から認めてもらえる美しさ”に怯えて収まってきた。しかし、今のmillnaさんは違う。
「髪は思い切って坊主にして、美味しいものをたくさん食べて15キロ増やしちゃいました。でも、今の自分、ウルトラスーパー最高で、幸せです。これから先、老いてどんな姿になっても、そのときの自分を『いいね』って思えるように生きていきたいですね」