「やりたくない」なんて感情はいらない
勝利への道は一つ、ただやるのみ
撮影:有泉伸一郎(SPUTNIK)
ブルース・リーに憧れて始めた格闘技
“闘うために生まれてきた”、そう書くと大袈裟だろうか。しかし、実際に彼女は道場に入門するのを心待ちにして、4歳の誕生日を迎えた。
「お母さんがアクション映画好きで、小さい頃からテレビでよく観ていたせいか自然と格闘技が好きになって、憧れの人はブルース・リーに。だから、近所にある空手道場がずっと気になっていたんです。入門可能な最低年齢の4歳で道場に入ってからは、強くなるのがうれしかったですね。小学3年生の夏休みに全国大会に出て負けたときは、悔しくて、悔しくて。次の日から遊ばずに、毎日道場に通っていました。負けるのが嫌だから、練習は苦になりませんでしたね」
自身を「悔しさがバネになるタイプ」と分析し、この格闘家向きの性格を活かしてトップクラスの実力を備えていく。高校2年生のときには、空手の全関東大会女子軽量級で優勝。その後、ほどなくしてボクシングへ転向する。
「もともと、空手のパンチを強くしたいと思って、補助的にボクシングを始めました。でも、ボクシングは道場と違ってマンツーマンで教えてもらえる。ダメな部分や課題が明確になるぶん成長を感じやすくて、それが楽しかったですね。それに、テレビで見るプロボクシングがかっこよくて。当時は、内山高志さん、村田諒太さん、井上尚弥くんが活躍していて、華やかだったんです。いつのまにかボクシングを中心にやりたい気持ちになっていました」
ボクシングジムに入門すると、高校3年生の2017年5月にはプロデビュー。後楽園ホールでのデビュー戦を勝利で飾った。高校卒業後は、立教大学コミュニティ福祉学部へ進学。スポーツ科学を学びながら、プロボクサーとして歩む日々をスタートさせた。
「スポーツに関することは学んでおいて損はないと思いました。実際に、栄養学や生理学を学んでいるので、減量で役に立っています。今は『減量とパフォーマンス』についてのレポートに取り掛かっているところです。減量すると、動きが良くなって体のキレが出る効果があります。自分で経験しているから、レポートの考察は書きやすいですね」
ボクシングは世界一過酷
だけど、世界一魅力的なスポーツ
大学生プロボクサーとなった鈴木なな子さんの1日は慌ただしい。午前中の早い時間は、ロードワークなどのフィジカルトレーニングやパーソナルトレーニング。その後、大学の授業を受けて、夕方からジムワークが始まる。ジムへは月曜から土曜まで週6日。ボクシングがベースにある生活だ。
ボクシングは試合前になれば、減量が加わってくる。そこでまずあるのが、限界まで体を絞る自分との闘い。
「私の場合は1〜2ヵ月で5キロ減量します。減量の最後の方がきついと思われがちですが、1週間前はスパーリングも終わって疲労を抜きながら数値を落とすだけ。ハードな練習をしながら減量する2週間前が一番しんどいですね。もう着替えたり、髪を乾かしたりするのも面倒。でも、減量をやるから試合が終わった後のごはんがおいしい。練習も週6やるから日曜日が楽しい。メリハリがつくからいいですよ。つらさと楽しさはセットだ、と腹をくくっちゃえばいいと思います」
彼女はこれまで8戦しているため、減量は高校生の頃から8回経験してきた。試合前は減量と並行して相手を想定した戦略を練り、そのなかで足りないところを補強し、練習を積む。リングに上がれば、相手との孤独な闘いが始まる。負ければ敗者の期間が続くため、勝利だけを貪欲に目指すことになる。ボクシングが世界一過酷なスポーツといわれる理由だ。しかし、彼女に言わせると、こうしたつらさもボクシングの魅力の前ではかすんでしまうという。
「ボクシングの12ラウンドには波があって、劣勢だった選手が盛り返して感動できる試合も多い。極限状態の駆け引きがあって、人間性が見えるのが面白いし、芸術的です。ボクシングは、とてもかっこいいスポーツだと思っています。そして自分がそのなかで成長をしているのを感じるのが、うれしい瞬間ですね」
世界一魅力的なボクシングで強くなれるのがうれしい。これまでやめようと思ったことは一度もないという。その真っすぐさが強さの秘訣なのだろう。そして、2020年には強さに磨きをかけるため、一つの決断をする。ジムと大学を両立するため、自宅から通いやすい三迫ボクシングジムへの移籍だ
「ジムを移籍する人が増えてきたとはいえ、全体の1割いるかいないか。簡単な決断ではありません。私は、メリットとデメリットをあげてみて自分で決めました。結果、移籍してみて良かったです。時間が有効に使えるようになったし、練習環境もすごくいい。トレーナーの椎野さんとの相性も良くて、教えてもらったこと全部がしっくりきています。選手とトレーナーは結局、人間関係なので、信頼できるから試合でも安心して闘える。周りにも上達したと言われ、移って良かったと思います」
個人競技のプロスポーツでは、自分のいるステップに応じて環境やトレーナーを自ら選択できるかどうかが勝利や成功を分けるといわれる。まだ日本では主流ではないが、目標を見据えたとき、直感的に必要性を感じて選び取ったのだろう。
目標からの逆算
学生チャンピオンは一つの節目
次なる成長へのカギを手に入れた彼女には、大学生になる頃から掲げていた目標がある。それが、“学生の日本チャンピオン”。
「学生チャンピオンは、一つの節目にするのにいい区切りになると思いました。目標を立てれば、自分を追い込むことができる。ジムの会長やトレーナーに伝えると、まずここで勝たなきゃいけないとか、どれくらい練習をしなきゃいけないかもわかります。私の場合、大まかな目標を立てて細かいことを決めることにしています」
しかし、勝負の年である大学4年を前に、試合中に大ケガを負ってしまう。右目付近の骨折と網膜裂孔だった。目のケガとはいえ、揺らすと回復が遅れるため、最初の1ヵ月は走ることもできなかった。一時は、学生チャンピオンは難しいかと考えた。しかし、何とか4ヵ月かけて回復し、秋には初めてのタイトル奪取戦が決定した。
「相手は、前のジムに所属していた選手でした。でも練習の時間帯が違っていて一緒に練習したことはありません。だから試合映像を見ながら、トレーナーの椎野さんと相手がどういうタイプかを分析して対策を立てました。椎野さんは私のやりたいボクシングスタイルを尊重しながら、相手に合わせた技の練習を組み立ててくれるタイプなので、安心して練習ができました」
そして迎えた試合当日。どんなことを考えていたのだろう?
「初めてのタイトル戦だったから、1ラウンド目は緊張して体が硬くなっていました。でも、セコンドから“やってきた練習量が違うから”という言葉をかけてもらって。3ラウンド目からは動けるようになった。『倒してやる』というより、『練習してきたことが出せればポイントが取れる』と思って闘いました。試合が終わって結果を待っている間、優勢ではありましたが、ドローの可能性もありました。でも、出し切ったから天に任せるしかない、――結果は勝利。ホッとしましたね」
日本女子ミニマム級チャンピオンになり、目標を達成。当日はオンライン配信もあり、たくさんの人から祝福の言葉をもらった。
目標をみつけたら淡々とこなすだけ
「やりたくない」なんて感情は、いらない
大学卒業まで2ヵ月。日本タイトルを獲得した後、これからはプロボクサーとして、どのような未来を描いているのだろうか?
「卒業後は、就職せずボクシングに専念します。たしかに就職した方が逃げ道はあるから、ラクですよね。でも、私は器用にできないタイプだから、絶対に両立できない。熱量も減っちゃうと思います。試合前は1ヵ月くらい集中したいし、もしコロナが明けて海外で練習したいと思っても、自由にできなくなる。今は、ボクシング優先でできるところまでやりたいと思います」
とことんやってみたいという彼女。その先の30歳までの設計図も教えてくれた。
「まだ日本タイトルを獲ったばかりで、世界を目指せる立場じゃありません。まずは、日本で防衛戦をしながら実力をつけて、東洋太平洋に挑戦して、そこを獲れたら世界に向けて道が開けると思います。今、22歳なので2年スパンで目標を達成して、24歳で東洋太平洋、26歳で世界に挑戦したいです。30歳まではボクシングで頑張りたいと思っています」
彼女が試合で身につけるトランクスには、ブルース・リーの“Don’t think, feel.(考えるな、感じろ)”との名言が刻まれている。この言葉の真意に近い思いを日々の糧にしている。
「目標を見つけたら、淡々とこなしていくことが大事だと思います。『やりたくない』なんて感情は、いらない。自分の気持ちを優先しすぎたり、大事にしすぎたりすると何もできないと思います。そういう選択肢をつくらないで、ただやるだけ。やると決めれば、そこに向かう道が必ずつくんです」
目標のためには、言い訳せず行動あるのみ。その積み重ねが、勝利をもたらすのだろう。