「石を投げられたら、岩を投げ返す」
性別にとらわれずに生きたいように生きる、それがパメラ
撮影:有泉伸一郎(SPUTNIK)
石を投げられたら、岩を投げ返すタイプ
“男の子に生まれて、男の子が好き”――物心ついたときからそう認識してきたパメラ・アンダーヘアーさん。マイノリティなんて考えず、純粋にまっすぐに、自分の気持ちをオープンにしてきた。
「幼稚園の頃には、もう男の子が好きだと自覚がありました。女の子とおままごとするのも好きだし、男の子とも一緒に遊ぶ。男の子には、素直に“好きー”と伝えてたし、隠してこなかった。“おかま”と、からかわれたりもしたけど、“そう、おかまだよー”と返してて。思春期になっても、いじめられたことも、悩んだこともない。みんなが悩むわけじゃなくて、そういうのは人によるのよ。基本的に、石を投げられたら岩を投げ返すタイプだから(笑)」
パメラさんは、たくさんの人と仲良くなれるタイプでもあり、地元・板橋区の数ある中学のほとんどに友達がいたという。しかし、地元の友達はあくまで気軽な遊び仲間。自分と同じような趣向をもった人達との大人びた世界に早くから目が向いていた。
「クラブデビューしたのは、中学1年。音楽も好きで早くからクラブ遊びを覚えました。身長が175、6cmあって、大人っぽかったので年齢確認で引っかかったこともない。当時クラブではゲイナイトが盛り上がっていて、ショータイムもありました。中学3年の頃に初めてショーを観て、マッチョのお兄さん達がふんどしを締めて兄弟船をバックにからみ合うのを観て、こんな世界があるんだと感激。早くこの世界にデビューしたいと思っていました」
この頃のパメラさんは当時流行っていたキレカジファッションのゲイ。ラルフローレンのジャケットを羽織って、ジーンズをはきこなしていた。初めて女装したのは、高校2年の頃だったそう。
「それこそクラブのハロウィンイベントで。ヒョウ柄のぬいぐるみ生地でパンツをつくって、尻尾をつけてシルバーのウィッグをかぶりました。もう気持ちよくて、なんていうの……“悦”! 女装すれば普通の男をナンパできるし、キスしてもいい。こりゃいいわと思いました(笑)」
当時の理想はパメラ・アンダーソン。映画『バーブ・ワイヤー』で、ボンテージに身を包みトゥーマッチなメイクをした、強くてかっこいい姿が憧れだった。高校を卒業してからは、六本木のバーでボーイをしたり、渋谷のデパートでモード系ブランドの販売員をしたりしながら、夜はクラブで女装をしていた。ファッションに音楽に恋愛に、好きなことに没頭した青春時代だった。
ひげガールのNo.1として、20年
ひげガールの入店は、“ドラァグクイーンになる”といった強い決意があったわけではない。まるで自然の流れだったかのように、パメラ・アンダーヘアーは誕生した。
「その頃は、女装してクラブのイベントをオーガナイズしていたので、恋愛対象もゲイじゃなくてストレートの人がいいなと思っていました。そんなときに、ゲイ雑誌『Badi』で開店したばかりのひげガールの募集を見たんです。そんなに長く勤める気はなくて、つなぎのつもりで。入店した頃は、お店も全然有名じゃなかったので、歌舞伎町のコマ劇前からお客さんをお店に連れてきてという感じ。それこそ、気に入った男をナンパしてるみたいな感覚でした」
そう謙遜するが、人を楽しませる才能はすぐに開花。入店して2、3ヶ月後にはNo.1になっていた。一方で、開店当初からいた初期メンバーはクビになってしまう。
「ママ達もいなくなって、自分ががんばらないと、お店もつぶれるという瀬戸際。私のほかにもう一人同期がいて、二人でお店を盛り上げていました。もう自分達でお客をつかまえないとお店に入れない。つかまえては接客しての繰り返し。その頃はいまどれくらいの売上げがあるか数字をピタッと当てられるくらい責任感もありました。今はテキトウなんですけどね(笑)」
パメラさんは、お客を連れてくるだけでなく、新しいことも企画する。それが今やひげガールになくてはならないショータイム。クラブで遊んでいた経験が活かされることになった。
「そんな大したものじゃないんですけど、入って1年後くらいに好きな曲をかけて踊ってみたらどうかと思って。自分が思う理想的な姿を踊って表現していくのは、気持ちよくて気持ちよくて。それこそ、水を得た魚のように(笑)。いろいろ考えてやってきたけど、私も楽しみたいし、楽しませたいって気持ちだったのよ」
こうして店は評判になっていく。折しも2000年代前半はオネエブームもあり、店にテレビの取材が入ったり、番組に出演したり、メディアに登場するようにもなっていく。
「当時は、『笑っていいとも!』にも出たりして。昔から目立つのが好きだったから、気持ちいい、みたいな。名前が売れればお客さんも来てくれるし、ありがたいですよね。テレビに出れば、いじられたりもしたけど、別になんとも。“ですよねー”みたいな感覚。私は好きな人にさえバカにされなければ、そういうのは平気なんです」
こうして気づけば20年以上、ひげガールの看板を張っている。いまはショーには登場しないが、席に顔を出すだけでも大きな存在感を放っている。
“わかるよ”って、何が?
思いのままに生きる、パメラという性別
パメラ・アンダーソンから着想を得たパメラ・アンダーヘアーは、キャットメイクに金髪ロングヘア。細く長い手足は日に焼けていて、チーターを思わせるが、しなやかであだっぽい。アンニュイな雰囲気だが、会話が始まると毒気も混じりクセになる。一体、どのように築き上げたスタイルなのだろうか?
「私、デビュー当時と何も変わっていないのよ。みんな私のスタイルをギャルって言うけど、ギャルが登場する前からこういうスタイル。色々、変わっていく子が多いけど、私の場合はずっとそのまま。体重も変わらないし。付き合った男性には、旅行でもすっぴんは見せたことなくて、人と会うときは常にパメラなの」
実際に20年前の写真も見せてもらったが、メイクもファッションも同じスタイルだった。時代や流行には決して流されない。マリリン・モンローがシャネルの5番をつけて寝るように、パメラ・アンダーヘアーは目覚めてすぐにキャットメイクになる。
しかし、デビューしてから変えた部分がある。28歳の頃に、豊胸手術と下半身の手術をした。
「元々、筋肉質だったので、寄せてあげることもできたけど、恋愛のときに脱ぎ切らない自分がいて。おっぱいって女の人の象徴だし、パメラ・アンダーソンもおっぱいボーンだから、ずっと欲しくて。誰にも相談せずに手術すると決めて。でも母親だけには、おっぱい入れるって報告したら、さすがに泣いてました。でも自分のなかでやりたかったことだから。いざ手術が終わったら看病もしてくれて、感謝してます。それからはやりたいようにやりなさいって言ってくれました」
自分のスタイルはあるものの、好きになった男性には尽くしたいのが、パメラさんの性分。
「どうでもいい人には強いんですけど、愛になるとダメなのよ。自分でも自覚してます。恋愛だけはダメだなって。意外とMねって思われる。もう、三つ指立てちゃいます。だから手術したことに全然、後悔はないですね」
とはいえ、自分は女性ではなく、あくまで自分なのだと言う。
「女の体になったのは、少なくとも付き合ってる彼の恋愛に対しての壁がなくなるかなと思っただけ。女の体はしてるけど、自分自身を女とは思ってなくて、あくまでおかまはおかま。女だったらつまらないし、私自身、男気は大事にしたい。それがパメラなんだよね」
性別やセクシャリティを枠にはめず、自分のスタイルを選んできたパメラさん。セクシャルマイノリティを強調する風潮には疑問を呈する。
「いま、社会的に性同一性障害って言葉もできてるけど、それってなんかすごく嫌で。そんなレッテルとかいらない、私は私だし。周りが気を使いすぎて、弱者を守ろうっていう言葉や風潮ができたことで逆にやりづらいっていうのはある。テレビでいじられても、それを演じたのは自分だし、エンタメで全然いい。保護してくれなくていいし、それが仇になる場合もあるの。気を使う人って知らず知らずに差別してると思う。“わかるよ”って、何が? 私は私なんだけど。一人の人間として、パーソナリティを見てもらいたいのよね」
自分らしく「やりたいことを、やりなさい」
新宿に長年、身を置いていると、社会のゆがみに遭遇することもある。そんな一面を見て、放っておけなかったことがあると話を切り出してくれた。
「私ね、去年は仕事が終わってからホームレスにごはんを配ってたの。きっかけはYou Tubeで若いホームレスの子がいることを知って、会いたいなと思って。コロナになってお店も暇だったし。コンビニでお弁当買ってホッカイロとお酒も買い込んで、(新宿)南口のガードで寝泊まりしてるところに行って、一緒に飲んでしゃべって、それだけ。ただの自己満なんだけど、楽しさを思い出させてあげたいなと思って。若いのにホームレスなんて。絶対に手立てはあるじゃない? その子は、いまホームレスをやめて生活保護を受けて普通の生活に戻ってるの」
なぜ、そうした行動に出たのだろうか?
「元々、人が好きなんです。中学のとき、ヤンキーのケンカについていって、やめなって止めて仲良くなったのがベースにあります。店でヤクザが大暴れたときも、突っ込んで行ったりして(笑)。その反面、嫌われたくないって気持ちもある。人の気持ちを読もうとして、小さい頃から空気の流れを読むのも得意だった。弱さもわかるから、そういう子がいたら助けたい。できることがあるんだったらしたい。恩返しなのかな?」
パメラさんの根底には、人を思いやる気持ちがある。いまはマイペースに仕事をしながら、心配をかけたこともあった母や姉と一緒に暮らし、自分の時間を大切にしている。将来については、「沖縄でバーやりながら、畑やるのもいいかな」と笑う。しかし、店にいる後輩に対しては心配な面もあるという。
「最近は、ナチュラルな(過剰なメイクをしない)女の子っぽい子が増えたかな。でも、私たちは、おかまだからね。男気がないと、つまらないかも。現代っ子で、ゆとりねって思うわ。相談されたらのるけど、私だって誰にも教わってないの。結局は、自分で見出さなければ伸びないのよ。そういう意味では、好きに生きなさい。やりたいことをやりなさいって、思います」
その生き方は奔放なようでいて、温かい。自分らしさを追求したからこそ、人へのやさしさにあふれていた。